中国脅威論を真っ向から否定する主張で中国を代弁した毎日コラム
◆論者を感情的に批判
北朝鮮の核・ミサイル開発に大半の国民は脅威を感じているのではなかろうか。
実際、産経の世論調査では脅威を「感じる」と答えた人は91・3%に達し、「感じない」との回答は8%にすぎなかった(18日付)。
政府のウェブサイト「国民保護ポータルサイト」へのアクセス数も急増しているという。ミサイルによる武力攻撃発生時の身の守り方を紹介しているからで、3月は計約45万件のアクセスがあったが、4月は既に計250万件を超えたそうだ(本紙23日付)。
中国の軍拡についても同じように脅威を感じていると思われるが、藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員は脅威を真っ向から否定している。毎日の日曜コラム「時代の風」(16日付)で「中国脅威論の非現実性」と題し、脅威論は森友問題への批判をかわし安倍政権を擁護するためのものだと断じ、次のように述べている。
―現代はフビライ・ハンが歴史上唯一の大陸からの日本侵略を試みた鎌倉時代でもなければ、欧州の帝国主義国が続々とアジアやアフリカを侵略した19世紀でもない。国内総生産(GDP)世界3位のハイテク工業生産基地かつ金融拠点である日本が侵略などされれば、世界経済は空前の大混乱に陥る。中国も世界を相手に製品を輸出することでGDP世界2位となった工業国であり、富裕層や政府高官は米国など国外に多額の資産を持っている。…(だから)経済制裁を受けるような自殺行為はしない―
藻谷氏は「これが分からいない人は、頭の中身が19世紀のままで、大国が深く相互依存する21世紀の世界経済システムが理解できていないのではないか」とし、脅威を断言する人は「確証バイアス(偏り)」に支配されており、被害者感情と他罰的傾向が強く、キレやすいなどと脅威論者をあざ笑うかのように感情的に書いている。
◆「見当違い」の“予言”
こうした批判はブーメランのように藻谷氏にそっくり返っていきそうだ。かつて著作を批判した人に対してブログで「早く死んで子供に財産を残せ」と罵倒し、名誉棄損で訴えられ賠償を命じられている(2011年9月)。被害者感情と他罰的傾向が強く、キレやすいのは他ならない藻谷氏自身ではあるまいか。
もちろん「大国が深く相互依存する21世紀の世界経済システム」が 戦争を防いでくれるなら、それに越したことはない。だが、ロシアがジョージア(グルジア)に侵攻したり、ウクライナのクリミア半島を軍事力で奪ったりしているように、ことはそう簡単ではない。
そもそも経済の相互依存があるから戦争は起こらないと単純に信じるのは、それこそ頭の中身が19世紀のままだ。1910年に米スタンフォード大学のデイビット・S・ジョーダン学長は「もはや戦争は不可能になった。なぜなら国々がそれを賄うことができないからだ」と、藻谷氏と同じようなことを言った(ジョセフ・ナイ『国際紛争 理論と歴史』有斐閣)。
同学長の主張に少なからず学者らが同調し、文明は戦争を超えた、経済的相互依存、労働組合と知識人相互の交流、資本の流れなどで戦争はなくなったと「予言」した。だが、そのわずか4年後に第1次世界大戦が勃発し、この予言は「破滅的な見当違い」(ナイ氏)となった。
◆空想的平和主義の類
だから経済の相互交流で戦争がなくなったと考えるのは空想的平和主義の類だ。現代はフビライ・ハンの時代でも19世紀でもないが、人間の心理はそうそう変わらない。ギリシャの詩人ホメロス(BC8世紀頃)や中国の殷の時代からの3500年間に、戦争の記録がないのは200年ぐらいだとされる。
中国は領土問題をめぐってインドに侵攻したり、ベトナムに戦争を仕掛けたりしており、「遅れてきた帝国主義国家」(渡辺利夫・拓殖大学前学長)だ。中国脅威論は平成28年版『防衛白書』も指摘しているが、中国国営新華社通信は「(白書は)中国脅威論を継続して騒ぎ立てている」と批判している(昨年8月2日)。
藻谷氏の主張はまさにその中国の代弁だ。そのことを知った上で毎日が紙面を提供しているなら同じ穴のムジナと言われても仕方あるまい。
(増 記代司)