「家族」抜きに子供の貧困の「政治的矛盾」論じ安倍批判に利用する朝日

◆「貧困物語」への疑問

 朝日は社外の声を紙面作りや取材に生かす趣旨で編集幹部が読者らと論じ合う「あすへの報道審議会」を設けている。その3月会合が1日付に掲載された。興味深かったのは連載記事の「子どもと貧困」をめぐる論議だ。

 23歳の女性会社員は「極端な例ばかり報道されると、読者が『自分とは違う世界の出来事』と感じて、理解が得られない」と指摘している。女性は貧困家庭から大学に進学した経験から、朝日の取材にも協力したが、よりかわいそうに描かれる場合があり、貧困を「かわいそうな物語」としてしか捉えていないのではないかと疑問を呈している。

 確かにメディアの「かわいそうな物語」にはうさん臭さがつきまとう。昨年、中日(東京)は連載記事に捏造(ねつぞう)があったと謝罪した。NHKの番組にも捏造疑惑が生じた。女性の言う「よりかわいそうに描かれる場合」はどうだったのか。

 斎藤利江子・大阪本社生活文化部長は「取材陣も悩んだが、『まずは多くの人に少しでも関心をもってほしい』と考え、より苦しい生活実例が多くなった面はある」と、極端な例だったと認めている。

 一方、74歳の元男性教師は「母子家庭に関する記事は数多いが、母子家庭を作った男性の問題を伝える記事は少ない。痛ましい事件を報じる時、関わった男性はどうだったのか、という視点も必要だと思う」と問題提起している。

◆「父母」の視点が欠落

 母子家庭の子供に「父親」がいるはずだが、朝日はそこから目を逸(そ)らし、「父母」や「家族」という視点を欠落させて「子どもの貧困」を論じる傾向がある。元教師はそこを疑問視し、「貧困というのは自己責任だという人たちが一方でいる。マスコミとして自己責任の問題をどう考えてきたのか」と問うている。

 これに対して編集幹部は「自己責任論をめぐっては『自分は乗り越えてきた。甘えじゃないか』といった声も紹介してきた。私たちとしては、そういう意見の方々にも議論に加わってもらいたいと思っている」(江木慎吾・フォーラム編集長)、「様々な角度から、さらに理解を深めていきたい」(斎藤生活文化部長)と答えるのみで、肝心の朝日自身の考え方についてはついぞ語らなかった。

 いったい「子どもの貧困」を取り上げる朝日の動機は奈辺(なへん)にあるのだろうか。中村史郎・ゼネラルエディター(編成局長)は「子どもは社会全体を映す鏡であり、社会的、経済的、政治的な矛盾、しわ寄せを受けやすい存在」だからとしている。

 そこには家族のカの字もない。あくまでも「社会的、経済的、政治的な矛盾」を追及する一環のようだ。どうやら朝日は子供の貧困を政治利用し、安倍批判のネタにしたいらしい。

 はたして「父母」や「家族」を抜きに子供の貧困を語ることができるのだろうか。子供は「社会の鏡」だが、それ以前に「親の鏡」「家族の鏡」のはずだ。しわ寄せを最も受けやすいのは親や家族からだ。

◆「家族再生」を拒むな

 本紙読者には旧聞だが、米国のブラッドフォード・ウィルコックス・バージニア大学教授はその道理を分かりやすく語っている(3月19日付=早川俊行・アメリカ総局長インタビュー)。

 米国で子供の貧困の大きな予測因子となっているのが家族構成で、一人親家庭の子供は、結婚した両親がいる家庭の子供に比べ、貧困に陥る可能性が5倍も高い。その理由は極めて単純な話で、シングルマザーの家庭では父親の収入がなく、規模の経済を享受できないからだ。一人親家庭は(結婚した両親がいる世帯に比べ)、平均年収が約4万4000ドル(約505万円)も少ない。これはかなりの金額だ、と。

 こんな単純な話に朝日は聞く耳を持たないのだろうか。西村陽一・常務取締役編集担当は「私たちは、『調査報道』『検証報道』などに加えて、新たに力を入れる分野として『課題解決模索型報道』を掲げている」と胸を張っているが、調査や検証が不十分かつ偏っていれば、問題解決に役立つわけがない。

 「家族再生」を拒んでいては子供の貧困を助長するだけだ。朝日は子供の貧困を政治利用する愚かな行為を即刻やめるべきだ。

(増 記代司)