戦争へ駆り立てた報道に頬かむりして教育勅語をやり玉に挙げる朝毎

◆教育勅語批判に転化

 安倍内閣は、学校での教育勅語の扱いについて「憲法や教育基本法に反しない形」で教材として使用を認める閣議決定を行った(朝日1日付)。

 3月以降、一部の野党やメディアは森友学園問題を教育勅語批判へと転化させ、“魔女狩り”を思わせる徹底排除論を繰り広げてきた。それに対する安倍内閣の回答が条件付きの使用容認だ。どうやら、やぶ蛇だったようだ。

 教育勅語には父母への孝心や兄弟愛、夫婦の和合、友情など現在にも通じる徳目(道徳)が説かれているから、この閣議決定に取り立てて違和感はない。

 だが、左派メディアは怒り心頭のようだ。朝日は「過去の遺物が教材か」(2日付)、毎日は「負の歴史しか学べない」(5日付)、東京は「復権など許されない」(5日付)と、まるでリレー社説のように糾弾の雄叫(おたけ)びを上げている。教育勅語を「国民を戦争へと駆り立てる役割」(朝日)、「軍国主義を推し進める役割」(毎日)、「国民を戦争へ駆り立てた」と、そろって教育勅語を戦争と結び付けている。

◆軍部を支持する論陣

 こういう論調には二つの違和感を覚える。一つは教育勅語が戦争へ駆り立てたと断じていることだ。実際には戦争へ駆り立てたのは新聞の方だったからだ。「(満州事変以後の戦争の歩みは)多くの新聞が軍部の行動を積極的にバックアップする論陣をはることを通じて推進された」(鳥海靖著『日本におけるジャーナリズムの特質』研究社)というのが真相だ。

 朝日は満州事変(1931年9月18日)が勃発すると、翌19日に「号外」を出し、「暴戻(ぼうれい)なる支那軍が満鉄線を爆破し、我鉄道守備兵を襲撃したので我軍はこれに応戦した」と報じ、20日夕刊では「禍の基は理も非も無く、何ものをも打倒せずんばやまないとする支那側の増上慢であって、…わが正義の一撃は早くも、奉天城の占領を伝ふ。日本軍の強くて正しいことを徹底的に知らしめよ」(コラム「今日の問題」)と戦線拡大を煽った。

 毎日は「百人斬り競争」という武勇伝をもって戦争へ駆り立てた(37年12月13日付=東京日日新聞)。朝日は国際連盟脱退キャンペーンを張り、日独伊三国同盟締結を「歴史的必然」(40年9月29日付)と評価し、ナチス・ドイツ礼賛記事を書きまくった。

 当時、テレビは存在せず、ラジオの普及率も6%程度だったから、新聞は世論に絶大な影響力を持っていた。それも全国紙は朝日(東京朝日と大阪朝日)と毎日(東京日日と大阪毎日)の二大新聞社の寡占状態にあった。だから戦争へ駆り立てた張本人は朝日と毎日と断じてよい。それに頬かむりして勅語だけをやり玉に挙げるのは片腹痛い。

◆義勇心否定の左派紙

 もう一つの違和感は、左派メディアが危急の際の義勇心を否定していることだ。確かに勅語は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以(もつ)て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と、国が非常事態に陥った時には皇国のために身命を賭せとしているが、国家に忠誠を尽くし、身命を賭すことが即、軍国主義だろうか。

 そうではあるまい。ジョン・F・ケネディは大統領就任演説で「国が君らに何をしてくれるかを問うのではなく、国の為に何ができるかを問うてほしい」と若者に語り掛けた。米国の独立戦争ではネイサン・ヘイルという21歳の青年が「私が残念でならないのは、私の国の為に捧げる命がたった一つしかないことだ」との言葉を遺(のこ)している。

 彼は米国の独立戦争で、戦いの劣勢を挽回すべく、イギリス支配地に潜入するも発見され処刑された。そのときの言葉は、今も国を愛する人々の心を捉えて離さず、7月4日の独立記念日に国民は彼に思いを馳(は)せるのだ。

 いずれの国も国家のために命を捧げた人はその国の英雄として尊敬され、国はその功を顕彰する。各国の元首らが公式訪問する際、無名戦士の墓を訪問し献花するのはそのためだ。 危急の際の義勇心を否定する国がいずこにあるだろうか(あるわけがない)。

 父母や兄弟、夫婦への愛、友情があるからこそ祖国に準ずることができるのだ。祖国を守るために命を賭して戦い散華(さんげ)した英霊たちを貶(おと)めてはなるまい。教育勅語を学び直すべきは左派メディアだ。

(増 記代司)