普通の近代国家の法整備を「戦前復古」と決め付けた毎日夕刊コラム

◆「右翼校長」の人生訓

 毎日夕刊のコラム「牧太郎の大きな声では言えないが…」で、客員編集委員の牧氏が「『右翼校長』と『教育勅語』」と題し次のような話を紹介している(3月27日付)。

 60年前のこと。牧氏は第1志望の中学校の入学試験に失敗、第2志望の日本大学第一中学校に進むことになり、複雑な気分だったとき、「校友会誌」にあった佐佐木英夫校長の「青年に望む」という一文に勇気付けられたという。

 <諸君よ、回想せよ。明治維新を成したものは明治の三傑たる西郷、木戸、大久保を始めとし、薩長土肥の青年であったことを。又(また)ローマの基礎を築いたものはスキピオ、ケザール等の青年であったことを>

 その結びは<北大の前身札幌農学校外国教師クラーク先生曰(いわ)く、「少年よ大志を抱け」と、諸君。それ力めよや>。青年が歴史を動かす話に牧氏は「がぜん、元気になった。入試に失敗した僕でも、何かができる」と思った。

 佐佐木校長は「教育勅語」で育った明治生まれで「右翼校長」と評する向きもあった。それでこんな一文も―。

 <世界十二大帝の一人たる明治天皇が御即位遊ばされたのは実に十六才であらせられた。諸君よ。我が学園の諸君よ。奮起せよ。…明治天皇御製(ぎょせい)に「大空に聳(そび)えて見ゆる高根にも のぼればのぼる道はありけり」と。諸君、三誦(さんしょう)せよ>

 これを牧氏は天皇崇拝とも読めるとするが、それでも「青年に望む」を「今でも1年に1度、この季節に読んでいる」そうだ。よほど牧氏の心に響いた人生訓だったようだ。

◆評価された教育勅語

 しかし、校長は週1回の「道徳」の授業で、父母への孝行、兄弟愛、学問の大切さなどは教えたが勅語にある「一朝事ある時には進んで国と天皇家を守るべきこと」の教えを「戦争に引きずり込んだ」とハッキリ否定したとしている。

 その上で牧氏は「右傾化が甚だしい。戦前復古の露骨な法整備が進む」とし、勅語を幼児に丸暗記させた「森友学園」を批判し、「諸君! 今こそ、大志を持って、教育勅語の『負の部分』を伝えようじゃないか!」と結んでいる。

 せっかくの「青年に望む」があらぬ方向に行ってしまった感がする。牧氏は何をもって「右傾化が甚だしい」と言うのだろうか。「戦前復古の露骨な法整備」が安保法制を指すなら、世界のどの国も集団的自衛権を否定しないし、共謀罪なら国際組織犯罪防止条約に基づき187カ国が整備している。いずれも普通の近代国家の法整備であって「戦前復古」には当たらない。

 佐佐木校長がご存命なら「諸君! 今こそ、大志を持って、教育勅語の『正の部分』を伝えようじゃないか!」と言われたのではあるまいか。

 終戦直後、教育者の多くは勅語の「正の部分」を評価していた。GHQ(占領軍)も当初、軍国主義とは見なさかった。昭和21年、「日本派遣アメリカ合衆国教育使節団」の指導で内閣に教育刷新委員会が設置されたが、勅語は否定されなかった。議事録を読むと、こんな論議がある。

 羽渓了諦委員(龍谷大学学長)「今日デモクラティックに新しい教育を行うという新時代に於いても、日本の伝統である忠孝一体道義を基礎としたあの教育勅語の思召を全然無視する訳には行かない……新教育の上に十分活かして行かねばならぬと考える」

 務台理作委員(東京文理科大学学長)「教育勅語自体が間違って居たとか何とかいうことは考えられる筈もないし、又其の中にある徳目というようなものは、永久是は日本国民に取って重要なものだということは、誰も分ることだと思います」

◆「過去の遺物」と罵声

 ところが、勅語は占領下で排除された。それはソ連の差し金だ(本欄3月14日付参照)。そのお先棒を担いだ朝日は4月1日付に「教育勅語、肯定の動き 天皇中心の国家観/戦後、国会で排除決議」、2日付社説に「過去の遺物が教材か」と罵声を浴びせる。

 確かに排除決議はある。昭和23年6月、衆参両院とも委員会審査を省略し、いきなり本会議に提出させ、成立させた。論議もへったくれもないGHQ命令だった。朝日は今もGHQ命令が金科玉条か。牧氏も勅語の「正の部分」をしっかり見てほしい。

(増 記代司)