歪な歴史認識でテロ等準備罪を治安維持法の再来のように書く朝日

◆戦前の共産党を美化

 ロシア革命をめぐって産経が連載を組んだ。その中で興味深かったのは「皇室銃殺の地に残るメモ」だった(15日付「ロシア革命 100年」上=遠藤良介モスクワ特派員)。

 ロシア最後の皇帝、ニコライ2世一家7人はロシア革命後の1918年7月、ロシア中部のエカテリンブルクの元商家の地下室で銃殺された。その跡地にソ連崩壊後の2003年、教会が建てられた。教会の下にニコライ2世一家の血が染み込んでいるので、「血の上の教会」と呼ばれているそうだ。

 遠藤記者は教会に併設されている皇室博物館を訪ね、レーニン率いるボリシェビキの地元幹部が書き残した、大量の硫酸をやり取りするメモを紹介し、「ニコライ2世らの遺体は郊外に運ばれて焼却された上、硫酸を使用して身元の隠匿が図られたとみられている」と記している。

 北朝鮮の金正恩委員長による粛清は遺体の一片も残らないよう迫撃砲や火炎放射器を使ったと伝えられるが、どうやらレーニンが元祖らしい。

 この記事はぜひとも朝日記者に読ませたい。と言うのは、朝日15日付がテロ等準備罪の法案を自民党が了承したのを受けて「治安維持法の教訓、今こそ」と戦前の“弾圧”を持ち出し、共産党を美化しているからだ。記事末尾に(黄”、後藤遼太)と記者名がある。

◆時代背景には触れず

 黄氏はよく知らないが、後藤氏は共謀罪をめぐる連載記事(2月10日付)で治安維持法について書いている。今回はその焼き直しで、新たに加わったのは次の話だ。

 「『夜中に寝ているところを引っ張られて』。三重県松阪市の太田まささん(102)が警察に拘束されたのは1933(昭和8)年3月。県内の共産党員ら150人が治安維持法違反容疑で一斉に検挙された」

 記事は以下、治安維持法によって共産党員らがいかに弾圧されたかを綴(つづ)り、テロ等準備罪(記事は共謀罪と記述)を治安維持法の再来のように書く。どうも歴史認識が歪(いびつ)だ。

 治安維持法は共産党員らにとっては悪法だろうが、テロ等準備罪が必要となる時代背景(多発する国際テロ事件)があるように治安維持法にも時代背景がある。朝日はそのことについて一言も触れない。

 第一に、前記のロシア革命だ。ニコライ2世一家をはじめ、おびただしい数の貴族や僧侶、資本家たちが粛清された。ボリシェビキは後にソ連共産党となり、さらに国際共産党(コミンテルン)を創設した。

 日本共産党はコミンテルンから資金援助を受けて1922年7月、「コミンテルン日本支部(日本共産党)」という呼称で創立された。括弧(かっこ)付きの「日本共産党」でソ連共産党の支部も同然だった。

 しかもコミンテルン加盟21カ条には「内乱へ向けての非合法的機構の設置」(第3条)などとあった。その共産党が真っ先に掲げたのが「天皇制廃止」だ。それで慌てた政府は1925年に治安維持法を制定したという経緯がある。

◆歴史歪曲の偏向報道

 第二に、太田さんが引っ張られたという1933年の共産党の活動だ。前年に打ち出した「32年テーゼ(綱領)」で「(満州事変の)戦争を内乱に転化し、ブルジョア=地主的天皇制の革命的転覆を招来する」ことを党の任務とし、闘争資金獲得のため東京・大森の川崎第百銀行を襲撃する事件(同年10月6日)などを繰り広げた。

 太田さんは読んだ「赤旗」に何が書かれていたか、覚えていないかも知れないが、暴力革命を煽(あお)っていたはずだ。当時の編集長は故・宮本賢治氏(今日の共産党の育ての親)で、「スパイに鉄槌を下せ」などと檄(げき)を飛ばし、33年12月には「宮本が殺った」(袴田里美元共産党副委員長=週刊新潮1978年2月2日号)という「リンチ人殺し」まで引き起こした。

 そんな時代背景を抜きに治安維持法だけを悪玉に仕立て上げるのは、歴史歪曲に等しい。むろん同法とテロ等準備罪は何の関係もない。朝日はいつまで偏向報道を続けるつもりだろうか。

(増 記代司)