先入見で「事実」を恣意的に切り取り「伝統的家族」を幻想とした毎日

◆上野氏の家族懐疑論

 京都大学名誉教授の佐伯啓思氏はトランプ米大統領と大手メディアの「事実」をめぐる対立を取り上げ、「事実」は切り取り方次第と、朝日紙上で論じている(3日付「異論のススメ」)。

 先の大統領選挙では米国の大半の大手メディアがクリントン優勢と伝えたが、これは各種の取材に基づく、つまり「事実」によるものだった。しかし、ある日本のジャーナリストは、現地の集会に出掛けるとトランプ陣営の方にはるかに熱気を感じると言い、トランプ勝利を予測した。彼の皮膚感覚のようなもので、この場合、「事実」はどちらにあったのか。そう問うている。

 佐伯氏は米国のジャーナリスト、リップマンが100年近く前の1922年に書いた『世論』を紹介する。リップマンによれば、メディアが提供する情報をわれわれは「事実」だと思っているが、メディアが言う「事実」なるものは、その取材者の世界観や先入見によって「世界」を恣意しい的に切り取ったもので、それはジャーナリストの悪意というより、人間の認識そのものの構造だという。それで佐伯氏は、「事実」は切り取り方次第とするのだ。

 世界観や先入見によって恣意的に切り取ると言えば、学者もそうで、「家族」はしばしばその標的にされる。例えば、フェミニスト(女性解放論者)として知られる東大名誉教授の上野千鶴子氏は毎日1月24日付夕刊「読書日記」で、『家族のように看取る』(甘利てる代著)や『孤独死の看取り』(嶋守さやか著)を俎上そじょうに載せ、「介護現場の『感動』が、『家族のような』という形容詞で表されなくなるのはいつのことだろうか」と、家族懐疑論を展開する。

◆失われつつある「絆」

 マルクスの盟友エンゲルスは、「歴史にあらわれる最初の階級対立は一夫一婦制における男女の敵対の発展と一致し、また最初の階級抑圧は男性による女性の抑圧と一致する」(『家族、私有財産および国家の起源』)として家族を「階級社会」と捉え、家族への闘争、解体を促がした。

 そうした思想を色濃く持つ上野氏に紙面を提供する毎日もまた、アンチ家族派なのだろう。先週、本欄で自民党が国会提出を目指す「家庭教育支援法」を朝日が批判していると書いたが、毎日1日付夕刊「特集ワイド」はそれに輪をかけ、「家族の絆弱まり、家庭の教育力低下―!? 『伝統的家族』なる幻想」との見出しで朝日を後追いしている。

 毎日記事で「事実」の切り取りをやるのは、日大教授の広田照幸氏と京大教授の落合恵美子氏である。曰(いわ)く、「日本人の国民性調査」では1958年には「一番大切なもの」に「家族」を挙げる人は12%だったが、2013年には44%に。だから「今ほど『家族の絆』が強い時代はない」(広田氏)と。

 こうも言う。大正期の第1回国勢調査では核家族はすでに54%(2015年は57・4%)に上り、3世代以上の同居家族などは31%(同10・1%)にすぎない。「世界的に見れば、高い数字ですが、大正期ですら3割しかない。…安倍首相や日本会議の唱える家族像は『日本の伝統を誤解している』」(落合氏)

 確かにこういう数字は「事実」なのだろう。だが、その読み方はどうだろうか。大切なものは失って初めて分かるものだ。空気(酸素)は生存に不可欠だが、それが満たされていれば、一番大切のものとは思わない。家族もそうで、58年はあえて挙げることもなかったが、今や失われつつある。それで一番大切なものに挙げる人が増えた。それが皮膚感覚だろう。

◆独居のケースが急増

 また大正期には子供の数は4人から6人が普通で、次男以下は仕事を求めて家を出て、別世帯を持った。だから3世代以上の同居家族が3割といっても高齢者の多くは3世代で、単独世帯は少なかった。

 ところが平成期は高齢者世帯が全世帯の4分の1に迫り、夫婦のどちらが亡くなり独居になるケースが急増している。だから大正期の3割と今日の1割とは全く意味が違う。日本の伝統を誤解しているのは落合氏の方だろう。

 さらに未婚、離婚、少子化等々、家族の危機はそこら中にある。世界観や先入見で「家族」を恣意的に切り取り、安倍政権を攻撃する毎日にはトランプ流で反撃すればよい。

(増 記代司)