トランプ氏のメディア敵視たしなめる産、感情過多で説得力欠く毎

◆他人事ではない軋轢

 何も今に始まったことではないが、米国でトランプ政権とメディアの対立が激化し、両者の溝は深まる一方の事態を憂慮する声が上がり始めている。最近では先月24日のホワイトハウスの定例記者会見が記者懇談会に変わり、トランプ氏に批判的なニューヨーク・タイムズ(NYT)やCNNなどのメディアが締め出され、これに抗議してタイム誌やAP通信が出席を辞退した。

 締め出しは、NYTやCNNが、トランプ陣営幹部が昨年の大統領選挙中に、ロシアの情報当局者と頻繁に連絡していたことなど一連のロシア関連疑惑を報じたことと関連するとされている。

 またホワイトハウス記者会が4月に開く夕食会に、トランプ氏は欠席を伝えた。夕食会は1920年代から約1世紀にわたり続き、歴代大統領が出席してきた伝統の行事も蹴っ飛ばす形だ。

 こうした現状は米国の政権とメディアの軋轢(あつれき)であるが、民主主義社会の根幹である言論・報道の自由(合衆国憲法修正第1条)に関わる問題で、日本のメディアにとっても決して他人事ではない。この問題をテーマに昨1日までにいち早く社論を展開したのが日経、産経、毎日(いずれも2月28日付)の3紙というのも興味深い。

◆冷静に正常化求める

 トランプ政権のメディア対応について「根っこには、自分に都合の悪い報道を『フェイク(偽)ニュース』と呼び、そのメディアを『国民の敵』と決めつけるトランプ氏の誤った判断」だと断じたのは、NYTと近しい朝日ではなく産経である。その上で「普遍的な価値である言論・報道の自由を軽視すれば、民主主義を危うくする」と憂慮し、メディア敵視が何の役にも立たない「ことに早く気付いてほしい」と抑制された表現でたしなめたのは正論である。

 権力とメディアの関係で、産経は古くは毛沢東政権による北京支局閉鎖の中でも林彪・副主席の死亡報道など最も正確な中国報道を行い、近くはソウル支局長のコラムをめぐり朴槿恵政権との法廷闘争を勝利してきた。それだけに国民の「知る権利」を背に権力を監視する重要な役割を持つメディアは、政権と「緊張関係にあること自体は普通だ」。「(権力側にとって煙たい存在)でなくては、メディアも存在意義を失う」という主張は重みを持つ。

 日経は、権力とメディアの在り方を「有権者を代表して監視役を担うメディアの責任は重大」と民主主義の基本ルールから説く。続けて「ここまで溝が深まっては情報の伝達ルートとして機能しなくなる」ことを憂慮。建前として公正・中立を旨とする日本と違い、党派色が鮮明な米メディアをトランプ氏が「敵」と呼ぶ事情にも触れた上で、なお「報道機関に最低限の取材アクセスを保障するのは、権力者の義務」だと訴え、冷静に関係の正常化を求めた。

 日経は、トランプ氏が好むツイッター発信にも言及した。

 ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は、趣味の仲間づくりなどに有効なツールである一方、情報の拡散機能が「不確かな伝聞や嘘・デマなどがあっという間に広まるという弊害」もあることを指摘した。「国民がデマに踊らされて国を誤った方向に向かわせる」ことが過去にもこれからもあることを警告。そのときに事実の確認など「民主社会の基盤であるメディアがきちんと役割を果たせるか」を自問しつつ、読者に問い掛けている。他人事ではないのだ。

◆傲慢さが鼻につく毎

 前記2紙に比べると、毎日は書き出しから「おぞましいほど露骨なメディア選別と言わざるをえない」とトランプ氏に食ってかかる。トランプ氏が演説で、報道の情報源を明かすよう求めたことにも「報道の自由を重んじてきた米国で、こんなことを言った大統領がいるだろうか」と力む。「情報源の秘匿は報道倫理上の鉄則で、メディアの生命線でもあり、応じられない」(産経)と突っぱねればいいだけの話である。

 はなからトランプ氏に敵対するかのような毎日の主張は、感情過多でメディアの傲慢(ごうまん)さが鼻に付く。前記2紙と似たようなことを言っていても、それだけ説得力に乏しい印象を受けるのである。

(堀本和博)