家族の絆より「個」を強調し家庭教育支援法案をやり玉に挙げる朝日

◆「個か家族か」の争点

 トランプ大統領が保守派活動家らの会合で「(昨秋の大統領選は)保守派の価値観の勝利だった」と演説している(本紙26日付)。それで民主党(現民進党)が政権奪取した2009年総選挙を思い出した。

 宮本太郎氏(当時、北海道大学教授)が「脱官僚の延長に『個』を単位とした社会を展望する民主党か、家族や地域、業界など人のつながりを大事にする社会を作る自民党か。これは一つの争点となる可能性がある」と、価値論について述べていたからだ(毎日新聞09年7月30日付)。

 クリントン氏らリベラル派は度が過ぎたポリティカル・コレクトネス(反差別・反偏見)の「個」、対するトランプ氏ら保守派は伝統的な「家族」で、トランプ勝利はその家族観の勝利だったと言ってよい。

 わが国の09年総選挙では「政権交代ええじゃないか」に飲み込まれ、個か家族かは争点にならず、日本政治の伏流となった。それが安倍政権下で、配偶者控除や自民党改憲草案の家族条項、今国会に提出予定の家庭教育支援法などに現れた。

 これらに敏感に反応しているのが朝日だ。年頭に組んだシリーズでは同性婚など家族の多様化が進むとし、「結婚するのか、子どもを産むのか、誰と住むのか、死後をどうするのか。生き方の多様化が、家族も多様化させる。あらゆる家族を受け入れる未来を、私たちはつくれるのだろうか」と、「あらゆる家族」を受け入れよと言わんばかりに書いた(1月7日付)。

 これこそ伝統的家族観の否定だ。従来、家族について民法は夫婦や親子、兄弟に扶養義務があるとし、相続には配偶者(内縁の妻にはない)、直系卑属(ひぞく)(子や孫)といった順位付けをしている。

◆是正しても反対姿勢

 こうした家族概念を否定する「あらゆる家族」は、扶養義務や相続の秩序を破壊する。すでに扶養は「社会化」の名の下に軽んじられているが、「あらゆる家族」はこれに拍車を掛け、恐るべき「個」社会を出現させ、社会主義(共産社会)に至る。そんな構図を朝日は描いているのか。

 2月に入って朝日は家庭教育支援法案をやり玉に挙げた。同法案は国や自治体が責任を持って家庭教育を支援しようというもので、自民党は今国会への提出を目指す。これに対して朝日は14日付夕刊1面で「家庭教育支援、住民に『役割』 自民法案、『介入』批判され文言修正」との記事を載せた。

 素案段階で「基本理念」にあった「子に国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」の文言を削除し、「『公』が家庭に介入しかねないことへの懸念があり、考慮したとみられる」とした。

 「懸念」をけしかけたのは当の朝日だが、是正しても反対姿勢は変わらない。19日付社説は法案を「いま、このような法律をつくる必要がどこにあるのか」と噛(か)み付く。

 その理由を「家庭や家族の意義をことさらに強調し、思い描く『あるべき家庭像』を人々に押しつけようとする、この間の自民党や政権の逆立ちした発想と施策があるからだ」としている。

◆「家族潰し」の代名詞

 朝日が言う、この間の「逆立ちした発想」とは、第1次安倍政権下の改正教育基本法が父母ら保護者の責任を定める「家庭教育」の条文を新設したことや自民党改憲草案の家族条項などを指す。

 同草案については「『国民は、個人として尊重される』の『個人』を『人』に変え、憲法の基本理念をあいまいにする一方、『家族は、互いに助け合わなければならない』と書く」と批判する。

 だが、「逆立ちの発想」はどっちだろう。人は独りで生まれないし、成長もできない。世界人権宣言は家庭保護の権利を明記するが(16条)、それは家庭が「個の尊厳」を保証するからだ。それを否定する方が「逆立ちの発想」だ。

 改憲草案が「個人」を「人」とするのはリベラル派が「個」ばかりを強調し、家族の絆を軽視するからだ。現行憲法でも夫婦の「相互協力」を促がし(24条)、保護者に教育を受けさせる義務を負わせている(26条)。

 そもそも「あるべき家庭像」を抜きにした施策などあり得ない。「あらゆる家族」というのは「家族潰し」の代名詞だ。日本でも個か家族かの価値観をめぐる戦いが始まった。

(増 記代司)