PKO日報めぐる統幕長の発言を戦前の「戦線拡大」とダブらせた朝日
◆「戦闘」に野党が矛先
自衛隊は、戦後初めて開発された戦車を、戦車と言わずに「特車」と呼んだ。1961年に配備された「61式特車」だ。なぜ戦車ではだめかと言うと、憲法は戦力の保持を禁じており、自衛隊は軍隊でないから、「戦」の文字はまずいとされたからだ。
その後、警視庁の機動隊に特化車両(特車)が導入され、自衛隊も特車では紛らわしいというので、晴れて61式戦車となった。以降、74式、90式、10式と続くが、むろん戦車である。海外の人が「特車」と聞けば、笑い出すだろう。
そんな9条信仰の残滓(ざんし)がまだある。階級の少尉や大佐は「3尉、1佐」、歩兵は「普通科」、砲兵は「特科」、工兵は「施設科」、駆逐艦は「護衛艦」。いずれも軍隊でない証のような言葉が使われている。
南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加している陸上自衛隊の日報に記された「戦闘」をめぐって国会が紛糾している。これも9条信仰の残滓と言ってよい。
日報は破棄して存在しないとされたが、電子データに残されていて、その中に「戦闘」の記述があった。稲田朋美防衛大臣への電子データ発見の報告は1カ月後。「戦闘」がPKO参加5原則の「紛争当事者間での停戦合意の成立」に抵触するので、それを隠そうとしたのではないかと野党が追及の矛先を向けている。
◆不可解な「言葉狩り」
確かにお粗末な話で、「あまりにも怠慢」(菅官房長官)と言われても仕方ない。だが、「戦闘」はどうだろうか。
朝日は「『戦闘』派遣是非に波及」(10日付「時時刻刻」)と、野党と歩調をそろえる。それによれば、河野克俊・統合幕僚長は9日の記者会見で、「目の前で弾が飛び交っているのは事実だ。そういう状況を彼らの表現として『戦闘』という言葉を使ったと思う」と、日報を記した隊員の思いを代弁し、部隊に対して「(言葉の)意味合いをよく理解して使うように」と指導したとしている。
これを朝日は「河野氏の発言は、国会での政府答弁に配慮し、現場として今後は『戦闘』という言葉を使わない--という『宣言』と言える」と勝手に決めつけ、「戦時中、明らかに戦争なのに『事変』や『事件』と言い方を変えていたことと全く同じだ」との自民党中堅(名前がない)の「指摘」を書き、戦前の「戦線拡大」とダブらせている。何とも恣意的な記事だ。
だが、その中で陸自幹部が「目の前で砲弾が飛び交っていれば、それは戦闘だ。その表現を使うのを問題にされても困る」と漏らすように「戦闘」という言葉を使わないなら、どう表現するのか。不可解な「言葉狩り」だ。
◆珍論に終止符を打て
産経は11日付主張「PKO日報 情報管理の徹底を求める」で、「日報に戦闘という言葉を用いたのは、それが軍事の常識だからだ」とし、「戦闘」批判に反論している。
PKO5原則では「法的な意味での戦闘行為」があれば撤退を求められるが、野党側は日報上の戦闘をこれと混同させている。南スーダンの反政府勢力は5原則上の紛争当事者ではない。一定の領域を支配しておらず、「法的な意味での戦闘行為」に従事できる国家や「国家に準ずる組織」の性格は持っていない。
だから今回の騒動は「国際標準から外れた法制や憲法解釈を改めず、日本の国会でしか通じない言葉を、いつまでも用いている弊害の表れといえる」としている。
産経の言う通りだ。そもそも戦闘の危険があるから、自衛隊が派遣されている。昨年12月には「駆け付け警護」の新任務が与えられ、他国軍との宿営地の共同防護もできるようになった。
それでもPKO5原則では国際社会に通用しないと、本紙12日付社説は5原則の見直しを迫る。PKO部隊は無政府状態の国家に派遣されるケースもあるが、参加5原則がある限り、自衛隊はこうした国家で活動できない。PKO派遣部隊の行動は集団安全保障の一環であり、戦時国際法やPKOマニュアルに基づかなければならない。
安倍政権が「積極的平和主義」を掲げ、世界の平和と繁栄のために貢献するというなら、早急に参加5原則の見直しに踏み出せと本紙は強調している。「戦闘」騒動を奇貨として特車以来の珍論に終止符を打つべきときだ。
(増 記代司)