親子の介護で実家周辺の共助意識を強調すべきだったアエラ介護特集

◆連絡時に既に認知症

 超高齢化社会を迎え、介護問題は疾(と)うから雑誌記事の定番の一つとなっているが、アエラ1月23日号は、「親をリスクにしない」をメインタイトルに、同問題で22ページの大特集。タイトルは「介護により親子が共倒れしないよう」というぐらいの意味で、特段の思惑はないようだ。

 メイン記事は、介護に携わった人や家族らをルポした「“親孝行”が仇になる」。以下、スムーズな相続、姻族との関係の在り方、実家の売り方など、各項目は既に他の雑誌や情報誌でお目にかかっている内容で新味はないが、それを分厚くそつなくまとめているといったところ。しかし、幾つかの点で穴があり、それを指摘しておきたい。

 ルポでは、都会に住むB子さん(60)が、09年に四国の実家で独り暮らしの母(享年78)を看取ったケースを取り上げる。「お母さんの様子がおかしいので戻って来てほしい」と、母親が懇意にしていた地方銀行の担当者からB子さんに連絡があった時には、既に認知症を発症していた。

 嫁いでしまうと子育てがせわしく、つい親のことは後回しになってしまったB子さん。ただしょっちゅう電話でやりとりし盆暮れの年2回程度は帰省していたという。それでも母の認知症に気付くのが遅れてしまった。

 介護が始まったのは亡くなる4年半前。その後、特別養護老人ホーム(特養)に入所させた母親は1年もたたないうちに他界したが、B子さんは介護や死後の身辺整理に力を使い果たしたという。

◆近隣頼ることも必要

 介護の過程で、関係者の間で、しっくりいかないことが起きるのは、被介護者が田舎に暮らしており、都会に住む介護者が田舎の実家にたびたび帰省する余裕がないB子さんのようなケースが少なくない。親子の連絡、やりとりはあるものの、生活環境の違いなどから意思疎通が十分でなく、長年のうちに、お互いの胸の内が読めなくなっていた。

 記事では「親がある程度の年齢に達したら、介護や死んだ後、葬式や財産の処分をどうするのか。本人の意向を確認しておく」べし、「親子が共倒れにならないためにも、早めに(親が)SOSを出してほしい」とアドバイスしている。

 それでもB子さんは、年に2回ほど、四国の実家に帰省していた。このような場合、実家の隣家や近所の人たち、知人などに、母の面倒とまではいかないが、その消息を折あるごとに知らせてくれるよう、頼んでおくこともできた。

 そのちょっとしたあいさつや依頼を案外、忘れがちだ。都会では、隣家の人の素性も分からないで暮らし、それで済んでいる場合が多い。しかし田舎は、まだまだ向こう三軒両隣が互いに訳知り合いながら生活をしているし、縁故の紐帯(ちゅうたい)もある。それを利用しない手はない。

 しかしアエラの記事には、そういった実家を取り巻く環境、事情に言及することがない。

 被介護者が田舎にいる場合、介護サービスの実際は地元の人々の手になる。それは地縁、血縁を含め、そこには田舎文化といっていい、共助意識、助け合いの産物でもある。都会文化では、なかなか見られないものであるが、介護者がよくよく意識しておくべき点である。

◆相当の覚悟決断必要

 ルポでは、介護がきっかけで離婚の危機に瀕(ひん)するケースも取り上げている。義母の介護のため夫の実家に通っていたC子さん(33)。ところが夫は仕事の忙しさにかまけ、実家に顔も出さなかったため、C子さんはついにキレてしまい、夫と一切口を利かなくなってしまったという。

 これに対し記事では、「自分の親の面倒を見るために、配偶者に不便をかけている時も、感謝の気持ちを表すと、夫婦関係もうまくいく」とアドバイスしている。

 親や近親者に対する介護について、介護者は、相当の決断が必要な場合が少なくない。つまり、その選択を誤ると、以後の自らの人生行路に破綻を来すかもしれない。今、人生の岐路に立っているといった覚悟といったらいいか。

 もちろん記事のようなアドバイスは有効であるが、こういったトラブルが高じるのは、介護の当事者(より責任を持つ者)が、未決断の場合である。記事ではこういった視点をはっきりさせるべきだった。

(片上晴彦)