トランプ氏が“主役”の新年号で相変わらず観念論に終始する左傾紙
◆朝日の「虚構の言葉」
澄み渡った空が地平線まで続く元旦、初日の出を拝した後、各紙社説と新シリーズに目を通した。その感想を一言すれば、希望より不安と苛立ち。暗雲が立ち込めているかのような印象を受けた。
記事の主役は来る20日に米大統領に就任するトランプ氏。国際秩序を主導する米国がトランプ新政権の「米国第一」で内向き姿勢に転じるのか、世界的な関心事だ。各紙は昨年来、紙面を割いてトランプ像を探ってきた。それでも解けない。不安と苛立ちがそこからもたらされる。
毎日1面トップは「現場報告 トランプと世界」。「多文化主義の危機 『白人優越』タブー正当化」とあり、2面に展開し「増殖する差別思想 リベラル社会から巻き返し」としている。が、この種の記事は何度も目にした。米国のマイナー、それもごく少数の白人至上主義団体の言動をもって社会全体の変貌とするのはステレオタイプだ。
朝日1面トップは「我々はどこからきて どこへ行くのか」の新シリーズ。その第1章として「民主主義」の連載を始めたが、これも毎日と似たり寄ったりだ。
記事では大学教授が「トランプ氏のようなポピュリズムは、本来はバラバラの人たちの中に、無理やり多数派を作り出す。敵を名指す虚構の言葉で人々を結集させる。これは、民主主義が持つ危うい側面」と語るが、こんな論評も飽きるほど聞いた。
「敵を名指す虚構の言葉」とはうまく言ったが、安保関連法への戦争法のレッテルも立派な「虚構の言葉」のはずだ。こちらには知らんぷりか。このシリーズも2面に展開し、反トランプ派の「不満を持つ人々の声を集めて、一つにまとめた側が勝つ」との大統領選批判を紹介するが、わが国の選挙で不満の声を集めようとしたのは他ならない朝日だ(勝たなかったが)。皮肉にも新シリーズは朝日がポピュリズムだと教えてくれる。
◆東京は抑止力を無視
社説も同様。「憲法70年の年明けに 『立憲』の理念をより深く」は、昨年のおさらいで新味がない。朝日は口を開けば、民主主義や立憲を言うが、それでどんな国をつくるのか、中身が空っぽだ。
その点、毎日の社説は期待を持たせた。「歴史の転機 日本の針路は 世界とつながってこそ」と、「日本の針路」を問うていたからだ。
トランプ政権の登場で「特に外交・安全保障政策は試練に直面する」とし、「中国の海洋進出や北朝鮮の脅威に対抗していくのは難しくなる」と危惧する。その上で「ここでうろたえずに自らの立ち位置を再認識することが肝要だ」と腹の座ったもの言いで「立ち位置」を説く。
だが、立ち位置は「他国との平和的な結びつきこそが日本の生命線であるという大原則」と、相変わらずの観念論だ。立ち位置を確かめた後に何をするのか、それがなく、肩透かしを食らわされた。
観念論と言えば、東京社説「年のはじめに考える 不戦を誇る国であれ」はその極みだ。戦後日本は不戦を尊び固守してきたと論じ、その平和を守ってきたのは元兵士や戦争体験者たちと現行憲法の二つだと断じている。体を張って日本の守りに従事してきた自衛隊や日米安保に一言もないのは失礼この上ない。
東京は「ただの理想論を言っているのではありません」と言うから、理想論との自覚はあるらしい。むろん武力によらない平和に越したことはない。だが、世界には中国や北朝鮮、それにテロ勢力が現在する。それらの武力攻撃を防ぐ力(抑止力)も必要だ。それを無視し、平和構築の具体論もなし。こういうのをただの理想論と言う。
◆理想論から現実論へ
さて、他紙の社説はと言うと、読売の「反グローバリズムの拡大を防げ」は総花の解説調。日経の「自由主義の旗守り、活力取り戻せ」は「揺れる世界と日本」と題するシリーズ社説の初回。石井聡・産経論説委員長の「自ら日本の活路を開こう」は活路を憲法改正だとし、竹林春夫・本紙主筆の「『和力』で混迷の世界に光を」は日本の伝統、和の精神に刮目(かつもく)する。
新年は始まったばかりだ。総論から各論、理想論から現実論へと進めてほしい。それにしても左傾紙は観念論からいつ抜け出すのか。本欄の話題は尽きそうにない。
(増 記代司)