秘密保護法反対一辺倒の朝日と毎日の狂騒キャンペーンを振り返る

◆安保闘争に先祖返り

 ここ1カ月、「狂騒曲」を聞かされてきた。やれ戦前に戻るだの、戦争の準備だの、臨時国会で特定秘密保護法案が成立するまで、朝日と毎日の反対キャンペーンは狂騒と表現するほかなかった。

 むろん反対論に一理もないとは言わない。しかし、法整備の必要性を取り上げず、反対論だけを並べ立てるのは偏り過ぎだ。安倍晋三首相が述べるように、今まで秘密保全が不十分で、秘密のルールすらなかった。朝日の反対論は昭和30年代の反安保闘争への「先祖返り」を思わせた。当時の朝日との同時性を振り返っておこう。

 朝日が反安保論調を張るようになったのはソ連が安保改定の動きを非難し(1958年12月)、「日本の中立」を求めてからだ。それまでは旧安保条約(52年締結)が不平等だとし「安保条約は改訂されるべき」(57年4月28日付社説)と主張していた。

 それがソ連の言動を受け、共産党や社会党、日教組などの親ソ勢力が「安保改定阻止国民会議」を結成すると(59年3月)、一転して反対論を掲げ、「(新条約案は)現行条約にある戦争にまきこまれる危険な穴は決してうずめられておらず…中ソに対して無用な疑惑を与えるような改定はしないことである」(59年10月19日付社説)と唱えた。

 「戦争に巻き込まれる」というのはサンフランシスコ講和条約(52年)に反対した共産党や日教組の常套(じょうとう)句だ。背後にソ連がおり、日本を自由陣営から切り崩そうとする思惑があった。朝日はそれにくみし、「全面講和」(47年8月19日付社説)や「永世中立」(49年4月12日付社説)を主張していた。

 60年安保では同年1月の岸信介首相ら日本全権団による調印に際して、同1月18日付1面トップで世論調査結果を掲載し「38%が戦争を心配 あまり知られぬ問題点」「改定、米国のため 日本を守る道・中立が最も良い」と反対・中立論を掲げた。

 同年5月に衆議院で可決されると、1面トップに「岸退陣と総選挙を要求す」との異例の社説を掲げ(5月21日付)、反対闘争に油を注ぎ、ついに流血事件を引き起こした。

◆長文質問で世論誘導

 こんなふうに世論調査を巧妙に使い、反対闘争に手を貸す手法は今に継がれている。朝日2日付は1面トップで「秘密保護法案『反対』50% 『賛成』25%に減少」と報じた。ちなみに共同通信の世論調査(11月24日配信)では、賛成46%・反対41%だった。

 それが朝日に掛かると反対が異様に多くなる。いつものことだが誘導質問だ。ふつう質問は設問文や設問順による回答の誘導(残留効果)や恣意(しい)的な設問をやってはならない。ところが朝日の質問は17字詰めで実に9行に及ぶ。法案を朝日流に解説し、そのうえで賛否を問うているのだ。

 そんな「世論誘導」をもとに反対が多いと“正当化”し、反対運動に肩入れする。朝日は国会周辺の反対行動(大半はプロ左翼市民だ)を連日、写真入りで報じ、機関紙ばりの反対キャンペーンを張った(毎日も同様だ)。

 自民党の石破茂幹事長が国会周辺での「絶叫戦術」をブログで「テロ行為とその本質においてあまり変わらない」と書くと、朝日は「テロ呼ばわりした」と大騒ぎした。石破幹事長は発言を削除し、「本来あるべき民主主義とは異なる」と改めたが、それでも朝日は「石破発言で本質あらわ」(3日付社説)と騒ぎ続けた。

 が、国会周辺に行けば、大音量デモに驚かされるはずだ。筆者もすぐ傍を通ったが、耳をふさがねば堪えられず、身の危険すら覚えた。石破発言に何ら違和感はない。

◆空論で絶叫を続ける

 同法案が参院で可決すると「審議打ち切りは民主主義の破壊」「強行採決」といった非難が紙面で続いた。だが、一部野党は最初から成立させる気がなく、同じ内容の質問を繰り返し、旧社会党を思わせる「反対のための反対」を繰り返しただけだ。審議が足りないのではなく、これ以上の審議は無駄というものだ。

 朝日の批判社説は11月に13本、12月に7本(8日現在)に達し、こちらも「絶叫戦術」だった。それでも国家安全保障会議が設立され、特定秘密保護法が成立した。これで戦前に逆戻りし、戦争が始まる? 60年安保のときと同様、朝日の空論である。

(増 記代司)