東電憎しと原発憎しを一緒くたにする週刊朝日原発記事の危うさ

◆経産省が上乗せ提言

 東京電力の福島第1原子力発電所(原発)事故が起きて5年以上たつが、原発憎しの論調を断続的に続けてきた週刊朝日などは、その議論の調子を一向に変えていない、いや高じているように思われる。

 経済産業省は、増加する同事故費用への対策を議論し先日、賠償費用の一部の2兆4000億円を2020年から40年間、電気料金に上乗せする中間提言をまとめ閣議決定された。同省の試算では標準家庭で毎月18円を40年間負担することになる。

 12月23日号週刊朝日「原発事故費8兆円 電気料金上乗せ!」の記事は、この提言をこき下ろしたもので、タイトルからして、上乗せ分が8兆円もあるかのようで誤解を招きかねない。リード文も、経産省の提言を「こんな請求書を経済産業省が国民につきつけています」とし、「商道徳にもとる請求、その理由は東京電力と原発の延命です」と決めつけている。この箇所を「質のいい電気を提供し喜んでもらうためです」としても、必ずしもおかしな脈絡とはならない。

 何か、感情が先走る書き出しとなって恐縮だが、ここで使われている「延命」は、東電も原発もいずれ死ぬべき運命なのに…、というニュアンス、意図が色濃い筆先で、国民への電力供給の後先をまず考えているのかどうか、疑わしい。つくづく事故が起きたことは残念至極だが、過去の失敗の傷をつつき回すだけではらちが明かない。

◆原発運営の正常化を

 当の経産省審議会での「なぜ、原子力(で発電した電気)を使いたくない人も、払わないといけないのか」という消費生活アドバイザーの大石美奈子さんの発言など、今回の措置に反対の意見のみを取り上げているのもどうか。

 もっとも東電に関して「(前略)東電を法的処理したうえで情報公開を徹底し、国民に説明すべきです。電気料金の一部として徴収され続ければ、事故処理費用が何に使われているのかがわかりにくくなる」という専門家のコメントは妥当で、東電の今後の姿勢、社会的責任が厳しく問われる。ただ、原発運営の正常化は時間との勝負で、ここで言う「法的処理」だけを先行させることは現実的でなかろう。

 ちなみに、筆者が以前、東電の本社に取材に行った時、取材対象の人物に2人の社員が寄り添い、筆者の質問に対する答えをいちいち確認していた。慎重というより、ハナからマスコミを懐疑している態度で、普段からの企業運営についての傲慢(ごうまん)性が露呈していた。今回の事故に対する企業努力も足りない。

 東電のことはここではおくが、東電憎しと原発憎しを一緒くたにするのは問題だ。人類のエネルギー源は本質的に二つのオプションがあり、それは自然の原子力としての太陽と、人工の原子力としての核分裂と核融合だ。人工の原子力エネルギーの開発に、今後は自らの整合性がより求められるが、汎用性のあるエネルギーの高性能、高効率利用や長期にわたるエネルギー源の確保などで、核融合の研究は必須だ。

◆原子力開発の展望を

 また原発技術は広い原子力研究の分野の一つ。原子力は総合科学技術としても多くの可能性を秘めており、開発の第1のステップはその長期展望を明らかにすることだ。例えば、今や医療分野、特にがん治療では核の粒子線療法は欠かせない。

 さらに分類すれば①原子や原子核のレベルでの研究開発(先端核科学)②医学、バイオ領域への発展(放射線応用)③科学から工学への橋渡しとしての基盤技術―などがある。原発憎しが、総合的な原子力技術の開発の度を鈍化させないか、憂慮される。

 記事の後半には、県知事時代に国の原発政策に異議を唱えた佐藤栄佐久氏(77)が登場。同氏は2006年、実弟の会社が関与したとされる汚職事件の追及を受け辞任。後に収賄事件で東京地検特捜部に逮捕された。

 その佐藤氏が「私は、大手メディアから“原発を止めたわがままな知事”に仕立て上げられていきました。首都圏大停電の恐怖をあおり、中央との対立の構図が作られていったのです。メディアも検察と同根です。これが伏線となり、国策捜査へとつながっていった」と述べている。被害妄想ではないか、と言いたいところだが、氏のメディア偏向の訴えについても耳を貸したい。

(片上晴彦)