「性の多様性」に歯止めが効かない朝日、ついに〝複数恋愛〟も登場

◆米国で25年前に造語

 朝日新聞11月26日付夕刊に、「【POLY AMORY(ポリアモリー)】って何?」と題する記事が載った。ポリアモリーとは、ギリシャ語の「poly」(複数)とラテン語「amor」(愛)に由来し、米国で25年ほど前に出てきた造語だ。

 簡単に言えば、複数の相手と同時期に性愛関係を結ぶ行為で、関係者全員が合意していることが「不倫」との違いらしい。そんな人間関係があるのか、当事者でない者には理解し難いし、一般的には「不道徳」と見られ非難される。

 だから、朝日の記事の中で、当事者の女性(33)は次のような声を上げていた。「10年間ずっと苦しくて、もう自分を許してあげたかった。これは私の生まれ持った性質なんだと」。

 ポリアモリーという言葉を知る読者は多くないだろうが、今年1月、東京都内で開かれた性的少数者(LGBT)の勉強会に参加した時、筆者は会場に置いてあった資料の中に、この言葉を発見した。いわく「性的対象が複数の人。複数の婚姻関係の場合はポリガミーという」。ポリガミーとはつまり「複婚」。

 ちなみに、ポリアモリーと対照的なのが「モノガミー」。これも資料に載っていて「性的対象が単数の人。特定の一人の人とのつきあいを望む人。または一夫一婦制」とあった。

◆新聞が機運をつくる

 冒頭の朝日の記事に限らず、ポリアモリーが最近、新聞にちらほら登場し始めている。東京新聞8月20日付で、「障害者の性」問題に取り組んでいるという非営利組織「ホワイトハンズ」代表理事・坂爪真吾氏は、ポリアモリーを「責任ある非一夫一婦制」と形容しながら、「『同性愛がOKなら複数恋愛もOKじゃないか』との機運が出てくる可能性もゼロではない」と語っている。むしろ、ポリアモリーを登場させて、そうした機運をつくっているのが新聞であろう。

 かつて、朝日の、ある特別編集員は「ことは性的指向、生まれつきという意味では右利き左利きほどの違いだろう」と言って同性婚を後押ししたが、ポリアモリーでも「生まれ持った性質」が、批判への反論として使われている。

 そう言われても、ほとんどの読者には〝屁理屈〟にしか聞こえないだろう。しかし、冷静に分析すると、東京都渋谷区の「パートナーシップ条例」成立の背景となった「性の多様性」や、学校で教えられている「性の自己決定」を推し進めていけば、いずれ同性婚だけでなく複婚の容認になってしまうのである。実際、自分の生まれ持った性質を否定することなく、誰も傷付けずに誰にも迷惑を掛けなければ「あらゆることが許される」という風潮が日本の社会でじわじわ広がっている。

 ただ、婚姻として一夫一婦制を守る日本で、いきなり複婚を主張しても社会から反発されるだけだから、まずはメディアに露出させてその存在から認めさせようというのであろう。

◆近親結婚さえ容認も

 国際政策セミナー「家族のダイバーシティ―ヨーロッパの経験から考える―」が先月11日、国立国会図書館(東京)で行われた。主催は同図書館。

 この中で、日本の家族法の専門家は、同性婚の是非に対する態度は保留しながらも、結婚制度を考える場合、倫理観は無視できないのではないかとして、その例に「近親婚の禁止」を挙げた。また、同性カップルの生殖補助医療の利用は禁止すべきだと訴えた民法学者もいた。

 だが、同図書館が基調講演者として招いたドイツの学者は、人権を優先させるのが現在の潮流である、と日本の学者との違いを見せた。そして、いずれドイツでは、すでに導入している「生活パートナーシップ制度」と婚姻の垣根がなくなるばかりか、近親婚さえ認められることになると示唆した。

 今月19日付「読売新聞」文化欄に「生殖補助医療と向き合う」「宗教界とメディア会合」との見出しの記事が載った。そこで、読売グループ本社の老川祥一主筆代理は「自己決定権を無制限に尊重することが、生殖補助医療の限界状況をもたらしたとし、人間存在の原点に立ち返った議論が必要だと論じた」という。

 性をめぐる議論も同じである。自己決定権の尊重だけで議論を進めれば、性倫理は「限界状況」に陥る。性的少数者の権利をめぐる議論も人間存在の原点に立ち返って「結婚とは何か」を明確にしないと、とんでもない方向にいくだろう。

(森田清策)