「立憲主義」を叫ぶも憲法の非民主主義的な制定過程は問わない朝日

◆占領下の制定を是認

 1年5カ月ぶりに論議が再開した衆院憲法審査会で、「押しつけ憲法論」がまるで理にかなっていないかのように批判されている。これにはいささか違和感を覚える。

 国会論議で民進党の武正公一氏は「憲法の制定はGHQの示唆などが契機とされるが、交渉過程で日本側の意見が入れられた」とし、公明党の北側一雄氏は「自主憲法制定が必要との意見があるが、私たちは賛同しない」と主張し、占領下の制定を是認した。

 自主憲法というのは現行憲法が自主的つまり国民の手でつくられたものではないとし、今度は自らの手で憲法をつくるという意味だ。自民党は1955年の結党以来、「自主憲法制定」を党是としてきた。押し付け憲法から自主憲法へ、というわけだ。

 ところが、当の自民党の中谷元氏も「GHQの関与ばかりを強調すべきではないとの意見を考慮に入れることも重要だ」と述べ、「押しつけ憲法論」を封印するかのような発言をした。

 それで朝日は「本音封印 自民の本気」(11月18日付「時時刻刻」)と、野党協調のための封印と評価する一方、「らちが明かないと見れば、政権中枢がどこかで協調路線をかなぐり捨てる可能性もある。そのときに押しつけ論が再び頭をもたげてくるのは、想像に難くない」(12月4日付「政治断簡」編集委員・国分高史氏)と疑っている。

 朝日は国民主権とか立憲主義と叫ぶが、こと憲法の制定過程についてはそれを問わず、無謬論に立つ。11月4日付から6回にわたって「憲法を考える 押しつけって何?」と題するシリーズを組み「戦前の家制度 廃止の契機に 押しつけられなければ、変わらなかっただろう」(第5回=11日付)などとし、「この70年、多くの人が(憲法に)『血』を通わせてきたという歴史」を褒めちぎる。制定過程などどうでもいいと言うのだ。

◆国際法の精神と真逆

 毎日18日付社説「極論排し建設的議論を」は「改憲や護憲を自己目的化し、かたくなに主張を譲らないイデオロギー対立から脱却した議論が必要だ」と言いつつ、「復古的色彩の濃い2012年憲法改正草案」などと自らのイデオロギー的決め付けは棚上げにし、制定過程についても放免している。

 しかし、こうした考え方は国際法の精神とは真逆のものだ。それで違和感を覚えるのだ。フランス共和国憲法は「いかなる改正手続きも、領土の保全に侵害が加えられている時には開始されない。また続行されない」(89条4項)と明記するが、いずれの国家も占領下の改正手続きは決して認めない。

 それは1907年に締結された「陸戦ニ関スル法規慣例ニ関スル条約」(ハーグ条約)に基づくもので、国際常識と言ってよい。だから同じ敗戦国でもドイツ(当時、西ドイツ)は占領下で憲法を制定せず、暫定的に基本法(通称ボン基本法)をつくったにすぎない。

 ところが、GHQは日本を占領するに当たって前例のないやり方をした。すなわち一般的な軍事占領だけでなく、「政治占領」を行い、民主主義を唱えつつ占領下の憲法制定という非民主主義的行為を平然とやってのけた。これは明らかな国際法違反だ。朝日が国民主権や立憲主義を唱えるなら、この違法プロセスこそ問題視すべきだろう。

◆逃げずに論議すべき

 「押しつけ憲法論」は何も憲法の中身を論じているのでない(むろん中身も問題山積だが)。違法な制定過程を放置するのは民主主義の根幹に関わるから問題視するのだ。国際法に詳しいという小沢一郎氏(自由党代表)はかつてこう主張した。

 「占領下に制定された憲法が独立国家になっても機能しているのは異常である…サンフランシスコ講和条約が締結され国際的に独立国として承認されたことを契機に、占領下に制定された憲法は無効であると宣言し、もう一度、大日本帝国憲法に戻って、それから新しい憲法を制定すべきであった」(「日本国憲法改正試案」文藝春秋1999年9月号)

 憲法の制定過程に頬かむりするのは歴史捏造の批判を免れない。それこそ「護憲の目的化」(毎日)にほかならない。国会は制定過程からも逃げずに論議すべきだ。

(増 記代司)