iPS細胞の倫理問題を問うたが尻すぼみの内容のアエラ科学記事
◆iPS細胞発見10年
iPS細胞(人工多能性幹細胞)という言葉は、テレビや新聞の報道で茶の間の話題としても登場するようになった。今や、人口に膾炙(かいしゃ)された感すらあるが、iPS細胞そのものは、遺伝子工学など最先端科学の成果であり、その応用も高度な医療技術を必要とする。
2006年8月、京都大学の山中伸弥教授らが、マウスの皮膚細胞からiPS細胞を作製して10年になる。アエラ11月28日号では「『10歳』迎えたiPS細胞最前線 『倫理』問題はないのか」と題して振り返り、今後の課題を幾つか挙げている。
山中教授は09年11月には人間の皮膚細胞からもiPS細胞を作製。体のあらゆる細胞になるという能力を秘めた「万能細胞(多能性幹細胞)」であり、それを使った再生医療が期待された。
すでに培養可能な未分化細胞として作られていた胚性幹細胞(ES細胞)には、人間に育つ可能性を持つ胚を壊す過程を経る必要があり、再生、移植医療のネックとなっていたが、片やiPS細胞はその問題をクリアしていた。また患者自身の体細胞からiPS細胞を作れば、いわゆる拒絶反応も回避できる。山中教授は発見から5年後の12年、異例の早さでノーベル医学生理学賞を受賞した。
◆動物の利用どこまで
記事の前半は、以上のようにiPS細胞登場の経緯が書かれているが、後半は一転、「倫理問題」に言及している。その一つは「ヒトのiPS細胞を遺伝子操作した動物の胚に注入して、人間に移植可能な臓器を持つ動物をつくる研究」について。
「現在、ブタを使っての基礎研究が進行中であり、将来的には臓器不足を解消できるかもしれない。一方で、ヒトのiPS細胞を動物の胚に入れると、個体ができる過程で膵臓(すいぞう)など目的の臓器だけではなく、脳や生殖細胞の一部もヒト由来のものになる可能性がある」というのである。ブタが使われるのは、人間の体内の生理的条件などがブタのそれと似て相性が良いからのようだ。
医療行為は常にその安全性の基準が問われるが、iPS細胞に関しても、臨床の場で生かせるよう繰り返し実験が行われ、精査されている。その安全基準と倫理問題は相通じているが、記事であえて「倫理」と指摘するのは、人間のために動物をどこまで利用してもいいかといった問題のようだ。
概念的に言えば、モルモットによる実験はずっと以前から認められ、よしとするが、ブタはどうなのか、ということになろうか。
記事では「体細胞提供者の中には、自分と同じ遺伝情報を持つiPS細胞が動物の胚に混ぜられ、全細胞の中に一部とはいえ自分と同じ遺伝情報を持つ細胞を含む動物が生まれてくることを嫌がる人がいてもおかしくない」と追及し「体細胞提供者の意思を尊重する」ことを強調している。
ただし、記事の問い掛け、追及はここまで。「iPS細胞には大きな可能性がある。しかし使い方次第では、見えにくかった問題が顕在化することもありうるのだ」と。また専門家の「(iPS細胞関連の技術は)明日にでも実用化するというものではありません。だから長い目で見てほしい」というコメントで終えている。壮大な問題提起に対し、一定の回答さえ出せずに終えているため、読後に大いに不満が残る。
◆家畜の価値基準問う
主に昭和前半期に特に活躍した思想家の一人、和辻哲郎は「人間にとって親しい動物たる家畜、すなわち人が時に相手として呼びかけ得る家畜でも、救いを求める相手には決してせられることがない」(著『倫理学』)とした。当時の科学のレベルでは、動物の中に「救いを求める相手」としての価値は、見えていなかったわけだ。
ところが今日、科学の飛躍的発展によって、家畜が人間の臓器生成で重要な役割を果たすという時代に入ってきた。人間の生命維持に対し信頼すべきパートナーになりつつある。そういう時代の家畜の価値基準をどこに置くべきか。
碩学(せきがく)の和辻をして、その基準を決定することは決して容易なことでなかった。人倫的秩序に、どう動物が介入してくるべきかは、科学の領域、知識だけでは解決できないことを明確にすべきだったように思う。
(片上晴彦)