改憲で朝毎と同様の自民草案撤回論を主張する日経に欠落する家庭観
◆家庭教育重視の伝統
かつて新渡戸稲造は、ベルギーの法学者ド・ラヴレーから「貴国の学校に宗教教育はないのですか」と問われ、「ありません」と答えた。すると彼は驚いて「宗教なし!ではどうやって道徳教育をするのですか」と聞かれ、とっさに心に浮かんだのが幼年時代の家庭教育だった。
それが動機となって新渡戸の名著『武士道』が生まれた。このエピソードは日本語版序文にある。『武士道』はケネディをはじめ海外の多くの識者に愛読され、日本では家庭が人格形成の場と知らしめた。
1970年代末に「家庭崩壊」が社会問題となると、時の総理、大平正芳は「家庭基盤の充実に関する対策要綱」を作成させた。要綱には「家庭は社会の基本単位であり、我々がより生きるための生活共同体であり、人間の精神と身体、性格はここで培われ、人間の活動力と創造力はここより生まれる」とある。
大平もまた、家庭教育の人だった。父親の影響で読書好きとなり、わが国では数少ないクリスチャン宰相となった。自民党の憲法改正草案に「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」(草案24条)とあるのは、こうした伝統に基づく。9月に亡くなった「最強リベラル」(毎日29日付夕刊)の加藤紘一元自民党幹事長も大平氏に師事しており、家庭重視は「偏狭なナショナリスト」のものではない。
◆共産の家族解体工作
ところが、朝日や毎日は家族条項が封建的だと断じ草案撤回をとなえている。ノンフィクション作家の河添恵子氏によると、コミンテルン(共産主義インターナショナル)は日本の左派を動かし、国連と連動しながら家族解体を工作しているというから(月刊『WILL』11月号=本紙9月30日付論壇時評)、なるほど朝毎は「日本の左派」である。
どうやら日経もその隊列に加わりたいらしい。編集委員の大石格氏は18日付「風見鶏」で、「草案には戦前の戸主制度を想起させる『家族は互いに助け合わなければならない』との条文が入っている」と批判し、「改憲の妨げ」だとして草案撤回を迫っている。
日経で思い出すのは「日本の『結婚』は今のままでいいのか」と題する09年6月28日付社説だ。要約すると、婚外子の割合が圧倒的に多い欧米で出生率が高いのは、結婚より緩やかなカップルを認める法的仕組みがあるからだ。これは「お互いに相性を判断する『試行結婚』の意味合い」があり「法律婚に比べ解消が簡単」だから日本も倣おう。夫婦同姓も問題で、「家」を基本にした戦前の家族制度が今も影を落としている―こんな内容の家族解体論だった。
ここには家族観のかけらもない。社説は婚外子の多いフランスを念頭に置くが、当地の人類学者エマニュエル・トッドは全世界の家族制度を調べ、安心な暮らしの原点は家族制度にあるとしている(『世界の多様性 家庭構造と近代性』藤原書店=08年刊)。
トッドによれば、個人の自由が安心とするアングロサクソン社会は一世代だけの家族を重視し、それで個人が借金や投資で景気を引っ張り、金融危機をもたらす。これに対してドイツや日本は三世代を家族と捉えるので、個人は消費よりも貯蓄や教育を好み、企業もモノ作りに励む。
◆日本の文化力を特筆
とりわけトッドは日本を特筆し、天然資源もマネーもない日本の成長は家庭が理性を育み、その理性を社会が共有するという文化の力で回っていると結論づけていた。
そのトッドの新著『家族システムの起源1 ユーラシア』(藤原書店)が発刊された。旧約聖書学者の月本昭男氏(上智大特任教授)は「本書によって、人類は母権制から父権制に転換し、大家族制から核家族へと移行してきた、といった単純な『思い込み』は見事に砕かれてしまうだろう。家族制度から世界史に迫る本書は、人類にとって家族とは何であったのか、とあらためて考えさせずにはおかない」(読売8月21日付書評)と論評している。
日経も考えてみればどうか。家庭軽視の思想で配偶者控除などを巡る税制論議をリードすれば、個人偏重の泥沼に落としかねない。朝毎や日経の怪しげな草案撤回論に耳を傾ける必要はない。新渡戸も大平もそう考えるに違いない。
(増 記代司)





