日本人に合った理想のリーダー像は松下幸之助か兵法書の「孫子」か
◆“人生”を教える著書
リーダー不在の時代と言われる。明治維新、国難を乗り越える原動力になったのは若きリーダーたちだった。先の大戦で焦土と化した日本は、経済大国として見事に立ち直ったが、そこには製品開発に対するあくなき探究心と独自のビジネスモデル(経営方式)を駆使したリーダーたちがいた。時代が彼らを輩出したと言われればそれまでだが、ならば今こそ、そうしたリーダーが必要な時ではないか。
週刊東洋経済(9月3日号)と週刊ダイヤモンド(9月10日号)は、リーダーのあるべき姿を提言すべく特集を組んだ。前者は「経営の神様」松下幸之助の実像に迫り、後者は希代の兵法書「孫子」を取り上げた。松下幸之助は生涯、数多くの書物を著しているが、それらは今なお多くの経営者に愛読されている。一方、「孫子」は単に兵法書にとどまらず、経営書としても活用できることからビジネスマンにはファンが多いという。
ところで、松下幸之助が今なお、多くの人に愛される理由は何であろうか。それは、松下幸之助の著した書物が単に経営のハウツーものではなく、彼自身の生きざまを表したものであり、“人生”を教えるからであろう。
特集には載っていないが、次のようなエピソードがある。北海道内にチェーン店を持つメガネ店の社長が、テレビに映っている松下幸之助のメガネがずれているのに気付き、「修理させていただきたい」と手紙を出したところ、数日のうちに「お礼と同時にメガネに無頓着であったことを恥じる」返事が送られてきたという。さらに翌年、松下幸之助が札幌で講演した際に、そのメガネ店に立ち寄りお礼に自社製品のラジオを贈ったという。
◆真逆の教えの「孫子」
ところで、東洋経済の特集には「人生と仕事に効く 幸之助40の言葉」という欄がある。それは仕事編、リーダー編、経営編の3篇からなっているが、おしなべて“マジメ”な言葉が並ぶ。例えば、仕事編。「あいさつ・礼儀は潤滑油」とある。また、「感動する礼状を書く」では、「通りいっぺんの手紙やったらあかんで。それなら何にもならない。そういうところから、天下を取る人と天下をつぶす人とが分かれてくる」と記している。先のメガネ店への礼状は、まさに感動的なものだったのであろう。その店ではいまだに贈られたラジオを家宝のように展示しているという。
一方、ダイヤモンドの「孫子」の特集は、内容から言えば松下幸之助の教えとは真逆だ。孫子の兵法と言えば、「彼れ(敵)を知り、己れを知らば、百戦してあやうからず」といった言葉や、戦国時代の武将・武田信玄が「孫子」から採った「風林火山」が有名だ。特集には、「而るに爵禄百金を愛(おし)みて、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり」(間諜に俸禄、黄金を与えることを惜しんで、決戦を有利に導くために敵情を探知しようとしないのは、民衆の長い労苦を無にするもので民を愛し憐れむ心のない不仁の最たるものである、という意味)との言葉を載せているが、諜報機関のないわが国の政府にとっては耳の痛い話であろう。とにかく2500年前の書物であっても今なお経営者には親しまれ、ブームの様相さえ呈している。
◆素直さ賢さ共に必要
ところで、この二つの特集。一方はビジネスにおいて「素直さ」「信頼」を説く松下幸之助。他方は「知略」を練って戦いに勝利を勝ちとることを目的とする「孫子」の兵法。果たして、どちらが正しいのか。この結論としてダイヤモンドでは浅野裕一・東北大学名誉教授が「孫子は日本人には合わない」と説く。「『孫子』には『兵とは詭道なり』(戦争とは敵を騙す行為である)をはじめとして、日本人が最も嫌うであろうことが書いてある」と述べ、さらにビジネスという視点で捉え、「日本の企業は、まず品質の良い製品を作ろうと努力します。次に、世界一の品質を目指します。そして世界最高水準に達すれば、その製品は必ず売れると信じます。しかし、孫子に言わせると、『弊社の製品は品質が悪い。だから、世の中を騙してでも売るしかない』となる」と語る。果たして「孫子」に記しているようなことを日本人にできるか、と同名誉教授は疑問を投げ掛ける。
ただ、別な見方をすれば、松下幸之助が歩んできた道、そして、その思想は理想的であるが故に世界の常識からすれば異質のものであって、むしろ「孫子」に著されている世界観が常識とみるべきではないか。とすれば、日本人はもっと「孫子」的思考を持つべきだとの結論に達する。すなわち、かつてイエス・キリストが語ったように「蛇のような賢さと鳩のような素直さ」を併せ持たなければ、混迷する世界の中で生き抜いていけない時代になっているのである。
(湯朝 肇)