元NHKアナの歪んだ家族観が議論を浅薄にした「プライムニュース」

◆愚痴の域出ぬ家族観

 議論下手と言われる日本人でも、テーマが「家族」になると、訳知り顔に持説を開陳する人間が少なくない。家族と関わりを持たずに存在する人間は一人もいないのだから、成長過程での体験を基に、それぞれ家族について語るのだが、肉親との絆が心の平安につながっている、と家族に感謝する人、逆に家族関係をうまく築けずに親子でもしょせん他人、と割り切る人とに、大きく分かれるのが常である。

 比較的恵まれた環境に育った人の家族自慢は鼻に付くが、さりとて、自分のルーツでありアイデンティティー形成に深く関わっている肉親の不平不満ばかりを口にする人間にもうんざりする。個人の経験を客観視できない人間が家族について語ると、愚痴の域を出ないが、それも庶民の井戸端会議なら我慢もしよう。しかし、「識者」としてテレビに出演する人間が自分の生い立ちにとらわれた家族論を展開するのは不健全を通り越して醜態である。

◆幸福な家族を認めず

 8月16日放送の時事討論番組「BSフジLIVEプライムニュース」は「今どきの『親子関係』 家族の『絆』はどこへ」をテーマに、作家の下重暁子、原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子、博報堂若者研究所リーダー原田曜平の3氏が議論した。

 NHKの元人気アナウンサーで、ベストセラー「家族という病」の著者、下重がどのようなことを語るのか、興味があって見た。彼女は著書で「親子きょうだい仲良く平和でけんかすることもなく、お互いを理解し助け合って生きている。そんな家族がいたらいっそ気持ち悪い」と、歪んだ家族論を展開していたが、予想に違わず、家族を生きるよりどころとする人を見下す傲慢な姿勢は相変わらずだった。

 例えば、番組でこんなことをしゃべっていた。

 「外からうちの家庭はどう見えるのか。いい家族であると見られたい、とみんな思っている」。周囲から悪い家族と見られるより、いい家族と見られたいと願うのは庶民感情として自然なことであり、テレビで批判の俎上に載せるような話ではない。そこにわざわざ言及するのは、幸福な家族の存在を認めたくないからではないか。

 また、次のようにも語っていた。「親は子供に期待してはいけない。子供も親に期待してはいけない。期待すべきは自分なのです。自分にはいくら期待してもいいが、親も他人です。子供も他人です。(省略)期待したら、裏切られるのは当たり前の話」。

 下重は「他人」という言葉を「自分とは違う人」という意味で使っているのだが、親子でもあえて他人と言い表すところから、親子関係をめぐる彼女の体験がどのようなものだったのかがうかがい知ることができる。

 筆者は子供の頃、近所のおばさんたちが家族でもめ事があると、「夫婦だって他人だし、親子だって他人と思えば、気が楽じゃない」としゃべっていたのを覚えている。下重の言説は、家族間の葛藤を和らげるための処世術としては理解できても、テレビで現代の親子関係を論じるレベルのものではない。ましてや、「期待したら裏切られる」と決め付けるのは、期待して裏切られたことのある人間の愚痴のようで、聞き苦しい。

◆親子の確執が根底に

 人が10人居れば、その背後に10通りの家族があるわけで、それぞれ違う。その中には幸せな家族も少なからずある。もちろん、葛藤を抱えた家族もある。にもかかわらず、家族というと、否定基調に終始する下重の発言を聞いていて、「傷弓の鳥は曲木に驚く」という中国の故事が頭に浮かんだ。

 著書の中で、下重は「わが家にはごく小さい時を除いて、いわゆる家族団欒というものがなかった」と打ち明けている。個人の辛い体験がその人間の視野を狭めたり、歪めてしまうことは往々にしてある。彼女の場合は親子の確執という体験があって、それがために他の家族まで病んでいるように見えてしまっているのではないか。

 現代の日本において、病んでいる家族は少なくないが、そうした事実だけに目を奪われていては家族論議を深めることはできない。ただ、聞いていて、独善的過ぎると思えることが多かった下重の発言の中で、一つだけ共感できるものがあった。

 「親の生き方を子供に見せるべきだ。子供もそれをちゃんとみるべきだと思うし、子供も自分の生き方を言うべきだ」。まず自分がしっかりとした生き方をしていることが健全な親子関係を築く土台となることは確かであろう。(敬称略)

(森田清策)