天皇陛下の「生前退位」論じた社説で「憲法」連呼し異様さ際立つ東京

◆皇位定める皇室典範

 憲法、憲法、憲法…、数えてみれば、憲法の文字が9回も登場する。天皇陛下の「生前退位」を論じた東京14日付社説だ。その中で「天皇」の文字は12回。それに対して憲法は9回。天皇と書くたびに憲法を冠しているといっても過言ではない。

 その一部を拾い出してみると、「憲法にいう象徴としての務め」「憲法に定められた天皇の在り方」「憲法と天皇との関係」「憲法に定められた外国大使らの接受などの国事行為」といった具合だ。

 天皇陛下が「生前退位」の意向を示されているというニュースは、参院選の熱気の冷めやまぬ列島を駆け抜けた。14日付各紙は解説などで詳しく論じたが、東京社説は天皇よりも憲法の方が大事だとでも言いたいのか、憲法、憲法の連呼だった。

 これほど憲法を口にする社説は他にない。読売には憲法のケの字もない(15日付)。皇位について憲法は皇室典範が定めるとしており(第2条)、東京のように意地になって憲法を持ち出す必要がないからだ。東京の憲法至上主義は異様というほかない。

 朝日の「象徴天皇考える契機に」と題する15日付社説にも違和感を抱く。「(天皇の)地位は国民の総意に基づく」とし、「議論の過程を透明にし、これからの天皇や皇室のあり方について、国民が考えを深める環境をととのえる。政府、そして、国民を代表し、唯一の立法機関として最終判断を下す国会には強くそのことを求めたい」と強調する。

 確かに皇室典範は国会で定めるが、「唯一の立法機関として最終判断を下す」とのモノ言いは、いささか高飛車ではあるまいか。まるで国民が天皇の地位をどうにでもできるかのように聞こえる。日本共産党は皇室を抹殺した「人民共和国憲法」草案を隠し持つが、朝日はどうだろう。

◆敬語抜きの皇室報道

 そもそも憲法第1条の「国民の総意に基く」は選挙に左右される薄っぺらなものを意味しない。憲法制定に関わった井出成三氏(元内閣法制局第1部長)によると、「(マッカーサーも)古来連綿として厳に存続して来たった天皇制が日本国民の総意に基づいたことを認めざるを得ず、その事実を確認」して明記されたという(『困った憲法・困った解釈』時事通信社)。

 もとより朝日が言う「議論の過程を透明」にすることに異論はない。それにはまず朝日自身の論調を透明化しておく必要がありそうだ。

 第一に、朝日の皇室報道は敬語を使わない。他紙では「退位の意向を示されている」(産経)「『生前退位』の意向を持たれている」(読売)とするのに、朝日は「(意向を)周囲に示している」と敬語抜きだ。

 第二に、2005年に有識者会議が「長子優先」「女性・女系容認」の報告書を出した際、女性天皇(愛子さまの場合)を差し置いて「時代が求めた女系天皇」と論じた(同11月25日付社説)。

 第三に、これに対して三笠宮寛仁殿下が女性・女系天皇容認論に疑問を呈され、皇籍離脱した元皇族の皇籍復帰などの代案を示されると、不遜にも黙れと言わんばかりに「寛仁さま 発言はもう控えては」との社説を掲げた(06年2月2日付)。

 第四に、天皇、皇后両陛下が東日本大震災の被災地を訪ねられた際、「国政に関する権能をもたないと憲法で定められた天皇に、高度な政治性を託し、あるいは見いだそうという動き」があると批判し、「被災地訪問も、『公的行為』として内閣の補佐と責任において行われることを忘れてはならない」と、菅直人首相(当時)の指図だったように書いた(11年5月16日付社説)。

◆「国民合意論」の闊歩

 第五に、女性宮家が論議された際、「(憲法が定める天皇の国事行為と別に)公的行為と呼ばれる活動が増えている。式典への参列や国内外の人々との面会もこれにあたり、各皇族もその一部を担っている」とし、「(こうした活動が)ゆきすぎれば天皇の政治利用などを招き、これまで育ててきた象徴天皇制の基盤をかえって、そこなうおそれもある」と難癖を付けた(12年2月21日付社説)。

 この社説のタイトルは「国民合意を築くために」とあった。今回もこうした朝日流「国民合意」論を闊歩(かっぽ)させるつもりだろうか。今後の論議の過程をよく見ておこう。

(増 記代司)