独り善がりな解釈で自民改憲草案の破棄迫り論議の入り口塞ぐ毎日

◆草案は議論の叩き台

 参院選では民進、共産両党や朝日、毎日などが「改憲」を焦点化し、「3分の2阻止」の大合唱を繰り広げたが、結果はその意に反して改憲に前向きな勢力が議席の3分の2を占めた。これが国民の厳粛な選択だ。改憲論議を本格的に始めるときだろう。

 だが、朝日と毎日は素直に受け止められないようだ。朝日社説は「『後出し改憲』に信はない」と釘(くぎ)を刺し、毎日社説に至っては「まず自民草案の破棄を」と突拍子もないことを言ってのけた(いずれも11日付)。

 自民草案というのは、自民党が主権回復を果たしたサンフランシスコ講和条約から60年になる2012年に発表した「日本国憲法改正草案」のことで、毎日は衆参の憲法審査会の再開の条件として同草案の破棄を掲げた。

 思わず、毎日は何様なのか、と言いたくなった。政党は政策形成の役割を担っている。憲法についても自らの考えを国民に発信するのは当然の責務だ。ましてや自民党は結党以来、憲法改正(自主憲法制定)を「党の使命」とする。それを一方的に破棄せよと迫る権利は毎日にないはずだ。

 そもそも草案は「したがき」だ。「合議して決めるために、まず作られた案」(広辞苑)で、これから批判、検討を加えて良い案にする叩(たた)き台といってよい。だから自民党は「改正案」とせず、あえて「草案」としたのだろう。

◆多数の改憲案の一つ

 しかも、改憲案はいくらでもある。野党共闘の旗振り役の一人、小沢一郎氏には「日本国憲法改正試案」(『文芸春秋』1999年9月号)があり、鳩山由紀夫元総理には『新憲法試案 尊厳ある日本を創る』(PHP刊)がある。2人は自民党でなく、民主党の元代表だ。民主党は99年に憲法調査会を設け、04年に「創憲に向けて、憲法提言」(中間報告)を発表している。

 また安保法制を違憲と叫び、新党「国民怒りの声」を結成して参院選に臨んだ小林節・慶応大学名誉教授には『憲法守って国滅ぶ』(KKベストセラーズ)という名著がある。新聞社では読売が91年、00年、04年の3次にわたって憲法改正試案を発表し、産経は13年に「国民の憲法」要綱をまとめた。

 こんな具合に改憲案は党派を問わず、世にごろごろしている。自民草案もその一つだ。それに国会は「言論の府」だ。憲法は国家存立の基本となる根本法だから、さまざまな角度から論議を重ね、熟議の末に発議されるべきだ。「3分の2」にはそんな意味合いもある。

 それを毎日はのっけから論議を封印するかのように自民草案の破棄を迫る。その理由がいかにも怪しい。社説はこう言う。

 「自民党草案は、前文で日本の伝統を過度に賛美し、天皇の国家元首化や、自衛隊の『国防軍』化、非常時の国家緊急権などを盛り込んでいる。さらに国民の権利を『公益及び公の秩序』の名の下に制限しようとする意図に貫かれている。明らかに近代民主主義の流れに逆行する」

 あまりにも独り善がりな解釈だ。日本の伝統について前文案は「長い歴史と固有の文化」を持つとし、「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承する」などとするだけだ。このどこが「過度に賛美」なのか、首を傾(かし)げる。

 それに英国やスウェーデン、スペインなどの民主国家でも国王は国家元首だ。国防軍や国家緊急権を憲法に明記するのは常識だ。国民の権利ついてドイツ基本法(憲法)は「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は、これら基本権を喪失する」(18条)と制限している。

◆理解しがたい言い分

 そもそも現行憲法下でも最高裁は「裁判所は、個々の具体的事件に関し、表現の自由を擁護するとともに、その濫用を防止し、これと公共の福祉との調和をはかり、自由と公共の福祉との正当な限界を画することを任務としている」(60年7月)との見解を表明している。

 自民草案のどこが近代民主主義の流れに逆行するというのか、毎日の言い分は理解しがたい。本来、こういう論議も国会の憲法審査会で行ったらいい話だ。それを論議の入り口で塞いでしまおうとする。毎日こそ近代民主主義に逆行する独裁体質を隠し持っていると言うほかあるまい。

(増 記代司)