ダッカ・テロ事件を受け「コーラン」一節の暗誦を安易に勧める新潮

◆日本人狙われた衝撃

 日本人7人を含む20人が犠牲となったダッカ・テロ事件。なぜ日本人が狙われ、殺されたのか、いまだに犯行の動機がはっきりしていない。「イスラム国」(IS)の「バングラデシュ支部」を名乗る組織が実行犯の顔写真を公開しているが、バングラ政府はISの犯行でなく、国内過激組織によるものだとの見解を出している。

 何の落ち度もなく、むしろ同国のインフラ整備に尽力していた日本人が無残な殺され方をしたのに、その理由や詳細が事件発生から10日経(た)ってもはっきりしないのは真に残念だ。

 週刊新潮(7月14日号)は「バングラ・テロ特集」を組んだ。「ダッカ現地取材も駆使してあぶり出す『バングラ・テロ』の全貌」に迫ろうというものだ。最初に「インド人ジャーナリストの証言などを元に、テロの一部始終を再現する」として、7月1日の夜から2日に治安部隊が突入するまでの様子をまとめている。

 何よりも衝撃なのは、ただレストランで食事をしていただけの邦人が、「外国人だ」というだけの理由で殺されたことだ。被害者の一人は「自分は日本人だ」と訴えたが、問答無用で撃たれたという。

 今や(一部を除き)世界中で評価が高く評判のいい「日本」「日本人」というブランドが全く通用しなかった瞬間である。日本人は無意識のうちに、「日本人であることを伝えれば安全だ」という錯覚を持っている。確かに、一部の日本低評価国でさえ、日本人の「素養の良さ高さ」は評価する。しかし、今回のようにむしろ日本人であることが何の“お守り”にもならなかったケースは、バングラが「親日国」であるが故に、一層衝撃を与える。

◆テロリストを騙せず

 同誌は現地の「警察幹部」のインタビューを載せた。「グルシャン警察署のジャキール副署長」は、「彼ら日本人は非常に温和で平和的な人間だ。そんな人たちを救えなかった。そのことを恥ずかしいと思う」と取材に答えた。日本人の中に、どこかでバングラの人々からの「謝罪」や日本人への賛辞を欲しているところがありはしないか。そんな欲求を満たす記事にも見える。

 犯人たちはイスラム教徒とそれ以外を分けた。ムスリムなら誰でも知っているコーランのフレーズを言えれば命を助け、言えなければ殺したという。それを受けて、同誌は「海外旅行なら暗誦すべき『コーラン』2フレーズ講義」の記事を付けている。しかし、これはある意味不謹慎だ。信者でもないものが聖典の一節を暗記していれば生き残れるとはあまりにも安易で愚かな考えとしか言いようがない。

 犯人が要求したと指摘されているのはコーランの「信仰告白」の部分で、「アッラーの他に神なし、ムハンマドはその使徒なり」というもの。無宗教無信仰なら抵抗なく言えても、信仰を持つ者、例えばキリスト教徒が「アッラーの他に神なし」と言えるわけがない。踏み絵を踏むようなもので、深刻な葛藤が生じる。それをこのフレーズを憶(おぼ)えておけば、「役に立つかもしれない」とは呆(あき)れた考えだ。

 たまたまコーランの一節を知っていたとして、信仰にも関係なく「アッラー」と唱えても抵抗のない人であっても、それでイスラムテロリストを騙(だま)せるなどと考えるのは、彼らを侮り過ぎている。彼らはコーランの“知識”をチェックしたのではなく、“信仰”を確認したのだ。こんなデタラメを載せては却(かえ)って日本人を危険な目に遭わせることになりかねない。

◆親日国でも保証なし

 最後の記事「『バングラデシュ』世俗派と原理主義の45年闘争史」は、これまであまり知られていなかった同国の宗教と権力の歴史に触れており、分かりやすかった。「日本企業も多く進出している親日国」だからといって、日本人や外国人がのんびりと暮らせるわけではない。マレーシア、インドネシアなど同じように親日でイスラムの国は多い。そこで同じようなことが起きないという保証はない。中東に比べて“穏やかなイスラム”と言われるこれらの国々でも、ISの影響を受けたり、過激思想に走る者がいることを忘れてはならない。

 同誌は「被害者の無念」の記事で命を奪われた7人を紹介している。彼らを忘れないためにも、もっと深く多くの情報を集めて提供してほしい。

(岩崎 哲)