自民改憲案批判にハンガリー憲法を共産体制の苦難語らず使う朝日
◆冷戦時代抜いた紹介
「ハンガリーは、苦難に満ちた複雑な歴史を歩んできた。16世紀にオスマン帝国、17世紀末からオーストリアに支配され、1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国に。第1次大戦に敗れると、トリアノン条約で国土の3分の2と人口の5分の3を失う。領土を取り戻そうと第2次大戦では枢軸国側として戦い、再び敗れた。民族を散り散りにした敗戦が、ハンガリーの人々にもたらした喪失感と屈辱感――」
そして続けて「オルバン政権は2010年、トリアノン条約が締結された6月4日を『国民連帯の日』とした」と結ぶ。これで歴史好きは納得するだろうか。
確かにハンガリー史はざっくりと分かる。だが、何か変である。思わず、これっきりですか、と問いたくなる。なぜなら、第2次大戦後の冷戦時代がそっくり抜け落ちているからだ。
この一文は朝日の豊秀一編集委員によるものだ。豊氏はオルバン政権が5年前に憲法を改正したが、中身が自民党の改憲草案と似ていると、同案を批判するシリーズの「ハンガリーで読む」編で取り上げる。その「上・『伝統回帰』似通う思想」(14日付)にこの歴史記述がある。
◆独善的な「国柄」批判
どこが似ているのかというと、前文は両者とも歴史を誇り、「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承する」といった「国柄」を唱える。また自己責任や家族の重視もうたう。ハンガリー新憲法O(オー)条は、「何人も、自己自身に責任を負い、その能力及び可能性に応じて、国及び共同体の任務の遂行に貢献する義務を負う」と規定、自民草案は「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)とする。家族重視も共通だという。
豊氏は、両者に相通じるのは過去への憧憬であり、歴史と伝統の上にある「国柄」を次世代へ引き継いでいこうとする発想だとし、この相似性をこう読み解いてみせる。
「国家はもう面倒をみられないから、自己責任と家族の助け合いでしのいでください――。
本来、権力を縛るための憲法が、権力によって、国民を都合よくまとめあげる道具として使われようとしている」(中・「国民『まとめあげる』道具に」15日付)
その上で豊氏は、「歴史と伝統を誇り、共同体の価値を称揚する、西欧流の立憲主義の伝統に基づかない、独自の憲法観」(下・「『美しい国』立憲主義とは距離」16日付)と結論付け、両者を断罪する。
しかし、こうした解釈はあまりにも独り善がりだ。自国の歴史と伝統を誇らない憲法がどこにあるというのだろうか。中国共産党が作ったマルクス流の中国憲法(2004年製)すら「世界で最も長い歴史をもつ国」と誇る(本欄4月12日付で紹介した)。
◆ソ連支配からの自由
豊氏は共産党時代のハンガリーを「負の歴史」とみなさないから、伝統や自己責任、家族を否定できるのではなかろうか。敗戦後、旧ソ連に軍事占領され、国民宗教であるカトリック教会の神父らは迫害にさらされた。自由を求めた「ハンガリー動乱」(1956年)では数千人が命を失い、20万人が亡命、年間国民総生産の約5分の1にあたる財貨が破壊された(矢田俊隆編『東欧史』山川出版社)。
こうした過酷なソ連支配や共産党独裁を抜きに、ハンガリー国民の苦難を語ることはとうていできない。新憲法が自己責任をうたうのも自由を奪われた苦い経験からだ。
自由があるから、その選択した行為には責任が伴う。自由と自己責任は表裏一体だ。自己責任がないのは裏返せば、自由がないということだ。「国が面倒をみる」という社会主義の怖さも肌身で知っている。だから自己責任を尊び、家族を重視する。
こんな話はハンガリーの悲哀の歴史から共産党時代を消し去った豊氏には通用しないかもしれない。かつて日本共産党はハンガリー動乱を「反革命」と断じ、ソ連の軍事介入を容認した。豊氏もその同類なのだろうか。
(増 記代司)