自民党改憲案に対し校則への造反を「自由」と持て囃す朝日の憲法観

◆「濫用の禁止」に反発

 『生徒人権手帳』(三一書房)という中高校生向けの本がある。国連で児童の権利条約が論議された1980年代に作成され、日教組が盛んに推奨した。何が生徒の「人権」なのかと言うと、こうある。

 自分の服装は自分で決める権利、飲酒・喫煙を理由に処分を受けない権利、学校に行かない権利、『日の丸』『君が代』『元号』を拒否する権利、自由な恋愛を楽しむ権利、セックスするかしないかを自分で決める権利(90年版より)。

 気の弱いお母さんなら卒倒しそうな「権利」がこのほかにもずらりと並んでいる。副題に「『生徒手帳』はもういらない」とあり、校則への造反を薦める。これが権利で自由なら、学校は教育どころか、無法地帯と化すだろう。

 だが、朝日の高久潤記者は『生徒人権手帳』の申し子らしい。連載「憲法を考える 自民改憲草案」の「自由㊤」(19日付)で褒めちぎっている。小学6年の時、丸刈りを校則にする公立中学が嫌で、長髪を認める私立中学に入学。その後ろめたさを解消してくれたのが、偶然、書店で手にしたこの本だったと言う。

 高久氏が人権手帳から紹介する権利は「体罰をうけない」「集団行動訓練を拒否する」「自分の髪形は自分で決める」で、「他人がなんと言おうとも個人の自由は尊重される」とあったことを強調する。が、どういうわけか、前記の「権利」は省かれている。

 記事は自民党案が「国民は、これを濫用(らんよう)してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とする一文を「説教くさい」と批判し、丸刈りに反発した小学時代を回顧するのだ。確かに自民党案は説教くさいかもしれないが、現憲法12条でも「濫用の禁止」は述べられている。

◆金科玉条にする個人

 では、責任や義務を放棄し、公益や公の秩序に反する自由は許されていいのか。前記の「権利」が当然の権利としてまかり通れば、それこそ「人権栄えて道徳滅ぶ」(勝田吉太郎・京大名誉教授)になりかねない。

 朝日の連載は本欄でも俎上(そじょう)に載せたが、4月の「前文」編で始まり、「公の秩序」「家族」「個人と人」と続き、5月には「義務」「自由」が掲載された。いずれも署名入り記事で、高久氏のほか、福田宏樹(前文)、豊秀一(公の秩序)、杉原里美(家族)、守真弓(個人と人)、藤原慎一(義務)の各氏が担当している。

 どうやら朝日きっての安倍嫌いの記者のようだ。来歴を見ると、福田氏は安倍首相の改憲論に反対、豊氏は元慰安婦への直接謝罪を迫り、杉原氏は最高裁の夫婦同姓合憲判決をののしる。守氏は中国や韓国を批判する出版物に「嫌中憎韓」のレッテルを貼り、藤原氏は反原発だ。ちなみに高久氏には『はだしのゲン』の記事がある。同連載(27日付)は次回に「保守の論理」編を予告するが、どんな記者が登場するか、想像がつこう。

 連載で紋切り型に記述するのは「憲法によって権力を縛るという立憲主義」。個人の自由を金科玉条とし、自民案にある義務や責任、公益、公の秩序にそろって噛(か)みつく。ジェンダーフリーの女性記者は家族への嫌悪感を露(あら)わにする。

◆読者とずれてる朝日

 これが朝日の「エース記者」の憲法観だが、国民のそれとは大きくずれているようだ。朝日は忘れたのか、それとも抹殺したのか、かつて「権力を縛る立憲主義」について朝日自身が行った“不都合”な世論調査結果がある(2013年5月2日付)。

 それによると、「憲法とはもともと、どのようなものか」との問いに、国家の行動を制約するものとの回答はわずか18%。これに対して国家と国民両方の行動を制約するものが70%に上った。

 また「自民党の改憲案は自由と権利には責任と義務が伴うことを自覚するよう国民に求めているが、それは望ましいか」との問いに、望ましいは68%で、望ましくないは23%にとどまった。

 つまり、朝日の「権力を縛るための憲法」に同意する人は朝日の世論調査をもってしても2割に満たず、義務と責任を国民に求めることへの賛成が約7割を占めた。

 この世論調査結果からも知れるように、自分の子供に権利一辺倒の『生徒人権手帳』を持たせたい親はほとんどいまい。朝日社員はどうか。高久氏は聞いてみるがいい。