文革50年を各紙連載するも検証せぬ朝日は当時の礼賛報道に無責任

◆宗教弾圧等記す産経

 鬼瓦ならぬパンダ瓦というのが中国の寺院にあった。文化大革命の余波が残っていた1981年のことだが、上海から浙江省の杭州へと旅をした際、案内してくれた僧侶が見せてくれた。

 「文革のとき、軒に葺く丸瓦をパンダ模様のものに替えました。封建社会の寺院でなく、新生中国の寺院と主張するためです。それで紅衛兵の破壊から免れました」

 どこの寺院だったか、すっかり忘れたが、産経のシリーズ「検証・文革半世紀 第1部 再び嵐の予感」(15~22日付)を読んで、このパンダ瓦を思い出した。

 文革は1966年5月、毛沢東が実権派(劉少奇や鄧小平ら)から権力を奪還するため、若者を紅衛兵として動員して繰り広げた政治・文化闘争だ。76年に毛沢東が死ぬまで10年間も続き、「批闘集会」と称するリンチなどで約1千万人が死亡したとされる。今年は文革50年に当たる。

 産経20日付「拡大する『十字架外し』」は、共産党機関紙の人民日報が66年6月1日、1面トップに「数千年来、支配階級の手先として人民を毒してきた古い思想、文化、風俗習慣をすべて破壊せよ」との社説を掲げ、これが紅衛兵への「宗教や古い文化を代表するすべてのものをたたき壊せ」との号令になった、と文革期の宗教弾圧を記す。

 現代中国では貧富の格差など社会矛盾の拡大とともにキリスト教の信者が急増し、プロテスタントだけで1億人を超え、総数8千万人の共産党員を上回った。危機感を抱いた共産党は「違法建築」の名目でキリスト教会の十字架を外させている。その数は2千件以上。締め付けが拡大していると産経は言う。

 毎日はシリーズ「文革50年の中国」(13~20日付)を組み、16日付には「歴史教訓に政治改革を」との社説を掲げた。読売にも連載(19・20日付)がある。いずれも文革の惨状を振り返り、現代中国の矛盾も突いている。

◆不可解な朝日の紙面

 ところが、朝日にこうした記事が見当たらないのは何とも不可解だ(22日現在)。朝日には文革(のみならず当時の自社記事)を検証する責任があるはずだ。人民日報ばりの文革礼賛記事を書きまくり、日本の若者を紅衛兵に仕立て上げようとしたからだ。踊らされた過激学生は各地の大学で「造反有理」(謀反には道理がある)と叫び、教授らをつるし上げた。

 朝日とて紅衛兵の蛮行を知らなかったわけではない。文革が始まった当初、「(紅衛兵の)異常というのは、ふつうの日本人的感覚から判断して、そうであるばかりではなく、共産主義理論の視点からみても、そうなのだ」(66年8月25日付社説)と、まともなことを言っていた。

 ところが、外国特派員を国外追放する動きが出てくると、手の平を返した。67年8月11日付社説は「激動一年の中国に思う」と題し、次のように述べた。

 「(文革は)権力機構の根本的な改革とともに、“革命的社会主義人間像”の形成が追求されている…(政治的・経済的に不安定な)低開発国の現状の中で、中国の発展は注目に値する。その中国がいま進めている文化大革命は、近代化をより進めるための模索ともいえよう」

◆書いたウソを正当化

 いま読み返せば、赤面モノのプロパガンダ記事だ。サンケイ(当時)、毎日、西日本の特派員が同年9月に「文革を中傷し、反中国活動を行った」として国外追放されると、中国に残った日本人特派員は朝日の秋岡家栄氏1人だけとなった。

 秋岡氏は文革礼賛に拍車を掛け、68年6月18日付に「新たな大躍進は近い?」と題し、「(文革による)大批判が下部組織に根をおろしながら全国各地の基幹産業も生産増強と結びつくという新しい局面が現れている」と書いた。

 これも真っ赤なウソであったことは、中国共産党が文革を全面否定した「歴史決議」で明らかなことだ。同決議は81年になされており、それで冒頭に紹介した僧侶は胸を張ってパンダ瓦の一件を明かせたのだった。

 ところが朝日は「報道鎖国に入るのが記者の役割」とする「歴史の目撃者」論なるものをもって偏向報道を正当化しようとしてきた。中国共産党より質(たち)が悪い。

(増 記代司)