「LGBT差別禁止」の大義名分の危うさ考えさせたプライムニュース

◆人種と同列に扱えず

 人権意識が高まった今日、「差別禁止」の大義名分に対して真っ向から反対する人はいないだろう。しかし、差別解消の具体論になると単純には結論は出ない。その典型は、いわゆる「LGBT」(性的少数者)問題だ。

 日経新聞4月10日付によると、「セブン・シスターズ」と呼ばれる米国東海岸の名門女子大学は、そろって体と心の性が一致しないトランスジェンダー(T)の入学を認めることを決めた。しかし、宗教的理由で、学生寮で性的少数者と同室になることを受け入れられない学生の場合、その要望を認めて、部屋を別々にする例もあるという。

 人種などを理由にした同室拒否は認めていない中でのこの対応は、同じマイノリティーの人権問題でも、LGBTと人種を同列に論じることはできないことを示している。

 ところが3年前、朝日新聞に次の趣旨の記事が載った。

 かつては米国の複数の州では、異人種間の結婚を禁じる法律があったが、愛する人との結婚が犯罪になるなんて、今では想像もできない。それと同じように、「同性婚が禁じられていたなんて想像できない」日が来ると思う、というのだ。

◆信教の自由の侵害も

 これがいかに単純な発想であるかは、もう説明の必要はないだろう。米国には、同性愛の問題と人種問題を同列に扱われることに怒りを覚えるマイノリティーもいる。

 4月27日放送のBSフジのニュース番組「プライムニュース」はLGBT特集だった。出演者は、自民党「性的指向・性自認に関する特命委員会」事務局長の橋本岳、麗澤大学教授の八木秀次、民進党最高顧問の江田五月、そしてLGBT活動家の増原裕子。この問題では、LGBTの活動家サイドに偏った出演者を並べることが多いテレビにあっては、バランスの取れた人選と言っていい。

 同性婚を認めるのは「世界の大きな流れ」として、LGBTサイドに立つ主張を行った江田に対して、同性婚慎重論の橋本はこんな指摘を行った。

 「宗教によっては(同性婚は)ダメ。たとえば、イスラム教とかカトリックとかがある。これもまた事実で、そういうことまで含めてどうするかをきちんと考えないといけない」

 LGBTの中には結婚を男女間に限定するのは差別だとして、同性婚の制度化を求める主張がある。しかし、同性婚を認めないのは差別だとすれば、今度は逆に、思想・信教の自由を侵害する恐れが出てくる。この整合性をどう考えるか。

 昨年、連邦最高裁判決が同性婚に「合憲」判決を下した米国では現在、自らの信念から同性婚に反対する人の思想・信仰をどう守るかが大きな課題として浮上している。信教の自由という自由社会の大前提を無視して、差別禁止だけを押し出せば、とんでもない混乱が生じるのである。

◆道徳的観点の必要性

 わが国では、同性愛者への差別禁止は、憲法との整合性の観点からも熟慮が必要だ。LGBT当事者や支援者は憲法の「法の下の平等」の原則を持ち出して、同性婚を主張するが、これもまた単純な発想である。さすがに番組では、そんな発言を行う出演者はおらず、憲法第24条に「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」とあることで、現行の法制度の下では同性婚は認められないという点で意見が一致した。

 増原は憲法の「両性」の文言を「両者」と読み替えれば、現行憲法下でも同性婚は違憲にならないという説があることを紹介したが、江田でさえ現在の婚姻制度とは別の制度なら、憲法違反にならないという主張だ。

 また、同性婚を認めるべきでないとする八木は、婚姻制度は「子供を生み育てるための制度」であることをまず考える必要があると強調した。婚姻制度が子供の福祉を大きな目的としているのであれば、自然には子供の誕生が考えられない同性カップルの関係が結婚と認められないのは当然のことである。

 NHKの「ハーバード白熱教室」で知られるマイケル・サンデルはこんなことを言っている。「どんな人に結婚の資格があるか決めるためには、結婚の目的とそれが称える美徳について考えぬかなくてはいけない」(「これから『正義』の話をしよう」)
 同性婚論争は差別解消だけの文脈でなく、道徳的な領域にまで入らなければ結論は出ないのである。(敬称略)

(森田清策)