オスプレイの熊本救援活用反対は「日米協力自体反対」と見抜く産経

◆本音はイデオロギー

 「坊主憎けりゃ袈裟(けさ)まで憎い」という故事ことわざを思い起こした。

 熊本地震の救援活動を支援して在日米軍海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、国道の崩落で孤立した熊本県南阿蘇村に食糧や飲料水、毛布、簡易トイレなどの救援物資をピストン輸送して被災者を大いに助けた。ところが、これが気に入らないという人たちがいたからだ。

 すでに26日付小欄で増記代司氏がこの件を取り上げているが、小生もこの問題に触れておきたい。

 被災地救援で米軍のオスプレイ投入にいちゃもんを付けたのは共同通信や東京新聞など一部メディア。22日の記者会見で一部メディアがオスプレイ活用の必要性を執拗(しつよう)に追及し、果ては自衛隊の能力にまでケチをつけたため、中谷元(げん)防衛相が「気色ばむ場面があった」と産経(23日付5面)が報じた。また増氏は朝日夕刊(19日付)の風刺コラム「素粒子」が「『…あえて使うオスプレイ。政府と米軍の思惑を届ける』と嫌味たらしく書いた」と評している。

 言うまでもないが冒頭の故事ことわざに倣えば、オスプレイは袈裟で坊主は米軍となる。オスプレイに何かと難癖を付けるのは、オスプレイと米軍の支援活動の貢献を評価したくないからだ。坊主にあたる米軍が「嫌」で、「平和」主義を主張する奥に「反米・反基地」、関連する安保法制や日米安保にも反対の共産党的な左翼イデオロギーの本音を潜ませているからである。

◆社説で言えない朝日

 だが、被災地で苦しむ人々が緊急に必要とする食料や飲料水などの物資を届ける活動にオスプレイを使用したからとそれを批判し、阻止しようとしても面と向かって言えるだけの大義がない以上、支持されることはない。オスプレイ活用批判をテーマに社説を掲げることは「(イデオロギーのために)そこまで最低に堕ちている」機関紙ならともかく、少なくとも一般紙としての矜持(きょうじ)を持つメディアがすることではない。せいぜいケチをつけるか嫌味を言うぐらいが関の山である。

 何より当の朝日が「震災への救援/官民連携で供給急げ」のタイトルを掲げた社説(19日付)で、「水がない。食べ物がない。着替えがない。/熊本や大分の被災者たちから悲鳴があがっている」「ここは官民あげて、一刻も早い物資の供給と生活環境の改善に全力をあげるときだ」とぶち上げている。

 先の記者会見で、中谷防衛相は「できることは一つでもやりたいという観点で実施した」とオスプレイの支援活動を繰り返し説明したと産経は伝えた。それでも「そんなに自衛隊の輸送力はないのか」などと悪意がにじむ批判が続くのに、強い調子で「全力でやってますよ!」と反論した。「(官民あげて)全力をあげるときだ」と言う、まあ当たり前のことにすぎないが、そう朝日が社説でのたまったように全力を尽くしたのだから、オスプレイ活用にも社説での批判は言えまい。

◆高く評価した読・産

 そんなわけで、オスプレイの被災地救援活動への貢献を真っ当に評価する社論を掲げたのは読売(社説・23日付)、産経(主張・23日付)、小紙(社説・21日付)の3紙である。

 読売は「東日本大震災時の『トモダチ作戦』に続き、米軍が全面的に協力していることに感謝」を表明。「(オスプレイは)多くの被災者の生活を維持するうえで、重要な役割を果たした」と高い評価を示した。野党内に活用の批判があることには「理解できない」とした上で「活用しなければ、物資供給が滞り、被災者のより大きな不安を招いたのではないか」と反論も明快である。

 産経は反対派の主張を「被災者に役立つ点には目をつむり、日米協力の進展自体に反対することが主眼ではないか」と本音に斬り込んだ。まさに図星であろう。日米共同の被災者救援は「同盟の強固な絆を内外に示す」ことになり「安全保障上の抑止効果も見逃せない」のである。小紙は「(オスプレイ批判は)共産党、および同党と安保法制廃止で共闘する民進党など野党の一部、かつて反安保論調を展開し、現在は安保法制に反対している一部マスコミにおいて顕著」だと指摘した。

(堀本和博)