熊本地震の余震が続く中で原発の不安を煽り立てる朝毎などの社説
◆記録的災害続く日本
「地震、雷、火事、親父」。古来、日本人は怖いものの筆頭に地震を挙げてきた。
明治期の『日本災異誌』によれば、允恭(いんぎょう)5(416)年から明治17(1884)年までの間に起こった自然災害の数は、およそ2600だという(『週刊朝日百科 日本の歴史』131・広井脩氏)。記録に残されるほどの災害が毎年、2件も発生していた勘定になる。
その最たるものが大地震だった。鴨長明は元暦2(1185)年に都で遭遇し「恐ろしいものの中で、最も恐ろしいと思うべきなのは地震であったと痛感したことだった」と、『方丈記』に記した。余震は3カ月も続いたという。
明治以降、近代科学をもって災害対策が講じられてきたが、それでもなお、恐ろしさから逃れられない。熊本大地震は改めてそう痛感させた。だが、先人はそこで立ち止まっていたわけではない。
毎日17日付の1面コラム「余録」は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の言を引き、日本人の根気や忍耐力が絶え間ない災害による破壊で培われた、他の文明を巧みに取り入れる適応力も揺れ動く大地に鍛えられたとし、「(地震には)小さく無力だが、だからこそ助け合う者同士のネットワークで対抗するしかない。太古から災害と向き合ってきた列島住民すべてが心のスイッチを入れる時だ」と鼓舞している。
今回の大地震は「経験則が通じず予測困難」(気象庁)という不気味さがある。だからと言って闇雲に恐れていては一歩も前に進めない。「心のスイッチ」を入れて冷静に立ち向かいたいところだ。
◆適合基準に被害出ず
熊本大の松田泰治教授(地震工学)らは、震度7を観測した益城町周辺を現地調査している(読売16日付)。それによると、1981年の国の新耐震基準に適合した建物には目立った被害がなかったが、適合していない建物には大きな被害が出ていた。
95年の阪神大震災でも同基準に基づく建物の被害は比較的軽かった。犠牲者の大半は家屋内で、その8割近くは家屋倒壊による圧死だった。今回の犠牲者にもその傾向が見られる。
だから耐震をしっかりしていけば、犠牲は最小限に抑えられる。そうした知恵も太古から積み重ねられてきた。「余録」にはそんなポジティブな姿勢が見られたのに、毎日社説はどうやら別のスイッチが入ったようだ。
16日付社説は「活断層は、日本列島に2000以上走っている。いつ、どこで直下型地震が起きてもおかしくない。こういう地震列島の中で原発を維持していくリスクを改めて考えた人も多かっただろう」と、活断層の恐ろしさを原発の不安へと誘導している。
朝日17日付社説は「熊本~大分の線を東に延ばすと、四国の大活断層帯『中央構造線』がある。拡大しない保証は残念ながらない。近くには四国電力伊方原発もある。警戒を強めねばなるまい。日奈久断層帯方面の地震拡大も引き続き心配だ。こちらも先には九州電力川内原発がある」と空想を広げる。
琉球新報(16日付)に至っては未知の活断層が「未知」なのに「国内で6千に上るともされる」と想像を膨らませ、川内原発の再稼働を「正気の沙汰とは思えない」断じ、17日付でも「即座に稼働を停止すべきだ」と息巻いている。
◆停止に及ばぬ地震動
だが、川内、玄海原発に活断層は認められない。それに川内原発は日奈久断層帯から遠く離れており、その先にはない。今回の地震で川内原発において観測された地震動は最大で12・6ガル。これに対し原子炉運転中に自動停止させる設定値は80~260ガル。新規制基準への適合性審査で620ガルの地震動を受けたとしても、安全上重要な機能は確保されている。丸川珠代原子力防災担当相はそう述べている(朝日17日付)。
先に福岡高裁宮崎支部は川内原発の運転差し止めの仮処分申し立てを退け、新規制基準について「最新の科学的技術的知見を踏まえたもので、何ら不合理はない」としている。それにもかかわらず、余震が続く中で不安を煽(あお)り立てるのは無責任言論の極みだ。
現代日本で怖いもの。「地震、雷…」に偏向メディアを加えておくべきか。
(増 記代司)





