毎日だけ「緊急条項の検討」説いた大震災5年めぐる憲法論議の低調
◆実際起きた緊急事態
東日本大震災から5年、緊急事態への対応が改めて問われている。憲法には緊急事態が起きたときに、どうするかという規定が書かれていないからだ。このことについて政治家でこう言った人がいた。
「これは恐るべきことである。民主主義の否定であり、独裁の論理である。非常事態に備えて、きちんとしたルールを決めておかねばならない」
ほかでもない元民主党代表の小沢一郎氏だ。月刊『文藝春秋』(1999年9月号)に「日本国憲法試案」を発表し、緊急事態条項の必要性を説いた。翌2000年には実際、「恐るべきこと」が起こった。
同年4月2日午前1時、時の総理大臣、小渕恵三氏が体の不調を訴えて順天堂病院に緊急入院、集中治療室に入ったため総理の意思確認ができなくなり、官邸は困り果てた。結局、青木幹雄官房長官が「超法規的」に首相臨時代理に就任するまで実に13時間、総理不在の異常事態に陥った。
憲法には「内閣総理大臣が欠けたとき」の規定はあるものの(70条)、「内閣は総辞職をしなければならない」とするだけだ。続けて71条には新たな総理が任命されるまで内閣は職務を続けるとしているが、次期総理が誕生するまで一国のリーダーが不在となっても憲法は知らんぷりだ。
ちなみに内閣法は憲法の欠陥を補うように「内閣総理大臣に事故のあるとき、または内閣総理大臣が欠けたときは、そのあらかじめ指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」(9条)としており、総理不在を教訓に現在では組閣の際に初めから臨時代理の順位を決めている。
◆検証は終わっている
こんな風に憲法の内閣条項にも緊急事態の規定がなく、困ったことになる。ましてや大震災では困ったでは済まされない。共産党の志位和夫委員長は「災害を口実に『緊急事態条項』を設ける」のは「断じて許されない」と言うが(産経12日付)、共産党が作成した「日本人民共和国憲法草案」(1946年発表)には政府の任務に公共の秩序の維持に必要な措置の施行や「政府の命令は日本人民共和国の全領域にわたって施行される」といった事実上の緊急事態条項が設けられている。
さて、新聞はと言えば、志位発言に同調するかのように災害を巡る憲法論議は低調をきわめた。各紙の震災特集や社説にはまったく書かれていない。毎日が6日付社説で「緊急事態条項 まずは必要性の検証を」と論じた程度だ。
同社説は「災害大国である日本の法体系に不備はないのか。あるとしたらどう手当てすべきか。東日本大震災の経験を踏まえた点検は不断に必要だ」という。この点はまったく同感だ。
ただし自民党案については「非常時における行政権限の大幅拡大と私権の制限に力点を置いている」から容認できないとし、「緊急時でも守られるべき国民の権利を書き込むことこそ条項の目的だという意見も根強くある」として「議論を整理するには、何よりも5年前の検証作業が欠かせない」としている。
確かに議論の整理は必要だが、何を今さらの感がする。検証作業はすでに行われているからだ。例えば、原発事故では12年に民間事故調(福島原発事故独立検証委員会)が第三者の目で検証し報告書をまとめている。そこには首相官邸の対応について「場当たり的で泥縄的な危機管理だった」と指摘されている。
◆無くては国家的欠陥
震災後とりわけ原発事故後、菅直人首相(当時)の無能ぶりは目を覆うばかりだったが、そこから浮き彫りにされたのは政治家の資質もさることながら、全ての法制度の基礎となる憲法に緊急事態条項がなかった国家的欠陥だった。
災害対策基本法と警察法には「緊急事態の布告」に関する規定がある(これも欠陥憲法を補うように)。だが、護憲派首相は憲法に明記されていないので発動を躊躇(ちゅうちょ)した。それでも「緊急事態」に憲法を関わらせないと言うなら、それこそ憲法の空洞化、立憲主義の破壊で、「恐るべきこと」だ。毎日は安保法制では執拗(しつよう)に立憲主義を唱えたが、大震災では目を瞑るつもりか。
とまれ毎日は検証の必要性を説いたが、3月11日に至る(そしてその後も)検証記事はなかった。検証を口実に改憲を遅らせる魂胆なら、姑息(こそく)と言うほかない。
(増 記代司)