朴槿恵韓国大統領の反日言動はポーズでなく「本音」と見抜いた新潮

◆日本の甘い思い込み

 日韓関係の出口が見えない。韓国の政財界、メディアからは日韓首脳会談を促す声が上がっているが、頑(かたく)なに拒否しているのが朴槿恵(パククネ)大統領だ。「日韓の“障害物”」(日本のネットメディア)とまで言われている。

 昨年の大統領選挙で対日強硬派の野党候補でなく、朴槿恵氏が当選したことで胸を撫で下ろした向きも多かった。日韓国交正常化(1965年)を行った朴正煕(パクチョンヒ)大統領の娘で、日本に対する理解も深いだろうと思われたからだ。だが、これは今となっては完全に外れた一方的な“思い込み”だったことが明らかになった。誰も「朴槿恵の本音」が分かっていなかったのである。

 週刊新潮(12月5日号)の「『朴槿恵大統領』を反日に染め上げた父の捏造(ねつぞう)教育」の記事は、そんな日本の“根拠あやふやな願望”を叩きのめした。朴大統領の日本批判は「偽らざる本音」だったというのだから。

 どうして朴槿恵氏は「反日」になったのだろうか。いやそれよりも前に、どうして朴正煕元大統領が「親日家」だと思われるようになったのだろうか。朴正煕は日本の陸軍士官学校を卒業し、満州国軍中尉として終戦を迎えている。韓国独立後、軍事クーデターで政権を掌握し、16年間、独裁政治を展開した。その間、日本との関係正常化を行い、日本からの経済援助等で「漢江の奇跡」といわれる経済発展の基礎を築いた。

 同誌は、石原慎太郎氏が福田赳夫元首相と訪韓して、朴元大統領から聞いたエピソードを語り、それによると「私は日本の朝鮮統治はそう悪かったとは思わない」と述べたことを紹介している。

 また陸英修(ユクヨンス)夫人については、朝日新聞が「日本語も上手、いけ花もお得意で、たいへんな知日家でもある」と報じたこと(63年12月17日付)を引用し、「夫婦共々、日本びいきだったのは衆目の一致するところなのだ」と書く。

◆外交と教育で正反対

 朴元大統領は「日本びいき」どころか、実は「徹底した反日教育を行った」と同誌に語るのは「拓殖大学の呉善花教授」だ。

 「朴正煕は対外的には親日をアピールしながらも、国内では民族主義史観を強化し、反日教育を徹底した」と呉教授は言う。呉氏自身がその教育を受けた世代だから、これは確かだ。

 「学校で子どもたちは、日本人は血も涙もない悪魔のような存在だったと教え込まれた」そうだ。だから、教科書も「真っ赤なウソだらけの歴史が掲載された」という。総督府が土地を収奪し、日本農民に廉価で払い下げ、朝鮮のコメの半分を取り上げた、などと書かれた教科書で学べば、誰でも日本を憎むようになるだろう。

 ところが、「韓国問題に詳しいジャーナリスト」が同誌に語る。「これらはまったくの事実無根。土地収奪の事実は存在せず、米の半分は日本内地に渡ったものの、市場原理に則った“輸出”でした。しかも、朝鮮総督府が強制したわけではなく、日本内地の米価が3割増しだったからで、朝鮮の農民はより多くの所得を得られた」のだった。

 「挺身隊」はもともと、軍需工場などに派遣されたもので、その中には学生も女性も含まれていた。それがいつの間にか「慰安婦」だと「史実を改竄するように」なった。これも朴元大統領の「捏造教育」だ。

 そして、同誌は「父が種を蒔いた捏造反日教育カリキュラムの真っ只中で、朴槿恵大統領は学校生活を送ったのである」と強調する。だから、反日言動は「人気取りの政治的パフォーマンスではなく、偽らざる本音」だというわけだ。

◆時代と状況に言及を

 このことは今まではっきりとは指摘されてこなかったが、同誌の記事でかなりすっきりと整理された。朴槿恵大統領の「反日」は、政治的なスキを作らないための、敢ての強硬姿勢だと好意的解釈をしてきたが、実は「根っからの反日主義者」(呉善花教授)だったのだ。

 だが、これでは身も蓋もない結論となってしまう。朴正煕元大統領が反日教育をせざるを得なかった時代背景や南北分断状況への言及もない。「反日世代」を育ててもなお、国民をまとめ、奮起させ、北との対峙に耐えていかねばならなかったことを想像する柔軟さも必要だろう。

 朴槿恵大統領が叩き込まれた反日を抑えつけて、政治的に正しい道を選べるような環境づくりを日本側からしても、決して罰は当たらないと思うのだが。

(岩崎 哲)