安倍政権批判の朝日コラムに大御所使って集中砲火を浴びせる新潮
◆文春の「特ダネ」連発
週刊文春の「特ダネ」連発は止まりそうもない。3月10日号では「河井克行補佐官の暴力とパワハラ」を載せている。パワハラは地位権力のある人で自信家ならば、ありがちなことだが、暴力となると話は違ってくる。秘書らへの暴言暴力がヒドイらしいのだ。
同誌は実際に暴力を振るわれた元秘書中村秀雄氏を取材し、証拠となる写真も掲載している。別の元秘書の「目撃証言」も取っている。だが、河井氏は弁護士を通じて同誌に対し、「(河井氏の)暴力により中村氏が怪我を負った事実もありません」「強い怨恨の情を有しているであろうことは想像に難くなく、その供述の信用性については極めて慎重な検討が必要」と回答してきたという。
こうなると、暴力事件として立件でもされない限り、この手の話は曖昧に終わることが多い。実際には中村元秘書は河井氏のポスターを破いたとして器物損壊の現行犯で逮捕され、「告訴した件も立ち消えになってしまった」という。よほど悔しかったのだろうが、自らの行動で河井氏を追い詰める機会を“相殺”してしまった。
他にセクハラの事例も紹介されているものの、「補佐官」の暴力・パワハラ報道は安倍政権はおろか、当人にもほとんど痛痒(つうよう)を与えずに消えていくことになるのだろう。そして、河井氏が自ら省みて行動を改めることもなかろう。なにしろ暴力・パワハラとの認識自体がないのだから。
◆「ブランド力」が理由
こうした週刊誌にセンセーショナルに取り上げられながら、「いずれは忘れられていく」ことを喝破しているのが、同誌にコラム「夜ふけのなわとび」を連載している作家・林真理子氏だ。
林氏は文春ばかりがスクープを飛ばしている理由を「ブランド力」だと言った。「タレコミ」すなわち情報提供、告げ口、密告、言いつけは発信力があった方がいい。だから文春が選ばれるのだと。
「それはいいとして」と林氏は言う。「『不倫ゆるすまじ』という空気は何とかしてほしい」と訴える。別に不倫を認めて問題視するなというわけではない。「みっともない」からだ。「桂文枝さんにはもっと粋に対処してもらいたかった」とは同感である。「今は時代が違うから『芸の肥やし』と誉められることではないが」だ。
そして、女性たちがやたらとしゃべる。「みっともない」上に「慎み」もない。しゃべる時はどちらかに「約束違反」があったからで、だから、責められるのは女性ばかりではなく、男性もだらしなくなったのだ。
とはいえ、林氏が言うように「いずれは忘れられていく」のだが、続けて「だから安心してほしい」とは皮肉である。「週刊誌の報道とはその程度」と言っているようにも聞こえる。
「ニューウェーブ」と呼ばれて、当人はキョトンとしているだろう。何かといえば、先の林氏が文春の「センテンススプリング」に対して、週刊新潮をそう表記したのだ。これは流行語大賞の対象にすらならないだろうが…。
◆「幼稚で下品」と批判
同誌3月10日号が朝日新聞のコラムに噛(か)みついた。2月28日付「政治断簡」に「政治部次長高橋純子」が「だまってトイレをつまらせろ」というタイトルで記事を載せた。「だまってトイレに~」とは「<船本洲治という山谷や釜ヶ崎で名をはせた活動家>の言葉」だ。
コラムは要するに安倍政権を批判しているのだが、この記事を新聞界の大御所がこぞってこき下ろした。まずは「産経新聞の古森義久・ワシントン駐在客員特派員」つづいて「元毎日新聞編集委員でジャーナリストの徳岡孝夫氏」さらに「先輩にあたる朝日の元経済部記者・永栄潔氏」最後に「元週刊朝日編集長の川村二郎氏」だ。
「あまりにくだらなくて、鳥肌がたちましたよ」(古森氏)、「高校の校内新聞に出てくるような記事。文章が幼稚で下品」(徳岡氏)、「問答無用の発想」(永栄氏)、「一番の問題はこの人が政治部の次長だということ」(川村氏)と散々だ。
高橋次長が名前だけでなく顔写真も出して“正々堂々”と安倍批判をしているのは別にどうでもいい。ただ、読者に伝わらない独りよがりの記事だとすれば問題だ。大御所を使って、集中砲火を浴びせる「ニューウェーブ」のやり方もどうかとは思うが。
(岩崎 哲)










