大相撲のグローバル化を日本の伝統から論じたNW日本語版コラム

◆強者が生き残る角界

 大相撲初場所で初優勝した大関琴奨菊(31)は、胸筋断裂などけがで泣いた期間が長かった。それでもめげずにコツコツと稽古し、優勝時の会見では「ある程度、根拠も自信もあった」と話している。大したものだ。

 八百長問題などで揺れた時期もあった大相撲だけに、精進した者だけが生き残る勝負の世界の厳しさが垣間見られ、すがすがしい気分になった。

 強者が素直に賛美される角界の在り方が、海外からの人材受け入れに始まって、その結果、外国人力士の活躍の場が拡大することにつながっているとみることもできる。

 ニューズウィーク日本語版(2月9日号)で南モンゴル出身の同誌コラムニスト楊海英さんが、相撲の歴史をひもときながら、外国人力士が実力を十分に発揮し得る理由を説明している。「日本の国技・相撲が狭量な国威発揚と無縁な理由」というタイトル。

 わが国の相撲の起源は、古事記や日本書紀の中にある力比べの神話や、宿禰(すくね)・蹶速(けはや)の天覧勝負の伝説が挙げられる。毎年、農作物の収穫を占う祭りの儀式として生活の中に取り込まれ、後に宮廷の大切な行事となった。

◆国際化実践の民族性

 楊さんによれば「10世紀にはヨーロッパまで名をとどろかせていた遊牧民契丹(キタイ)人の格闘技が日本に伝わって、相撲の原型になった」という。その背景に日本人と契丹人の交流がある。「日本人は古くから南洋に進出して貿易を行い、契丹の地にも925年に使者を派遣していた事実は『遼史』に記録がある」そうだ。その間に、契丹からのものが入り、古代からの日本の相撲に影響を与えた可能性はある。

 相撲の起源を当欄で云々(うんぬん)するのは措(お)くとして、「広大な草原で展開する競技を古代の日本人は限られた小さな土俵に集約することで洗練化し、格闘技を神前で演じて奉納する儀式化にも成功した」という側面はあるかもしれない。国技となったのも、宮廷の行事として定着したからだろう。

 その上で「古代から国際化に慣れ切った日本人とモンゴル人には狭量なナショナリズムは希薄で、スポーツを一国のみの国威発揚に利用しようとする精神もない」と言及している。さらに「日本列島は(中略)、ユーラシアのあらゆる文化が導入されて定着したところだ。いわば、太古の昔からグローバリゼーションを実践してきた民族だ」と、その伝統が角界のものとして生き続けている点を強調している。

 そして「政治化し、国威発揚と利益を優先してきた世界のスポーツ界は、海の民・日本と草原の民モンゴルの国際性に見習う必要があるかもしれない」と結論付け、大相撲を話題に、一種の文明論を展開している。

 ただし、現実的には日本人力士の活躍、横綱待望がさらに強くなってきている。これを実現するには、やはりハングリー精神旺盛な人材確保が必要だ。コラムで楊さんは、「今回の大相撲初場所で大関琴奨菊は横綱白鵬と日馬富士、それに鶴竜らモンゴル人たちを次から次へと連破し、『21世紀の蒙古襲来を退治』した。やがて遊牧民の『騎士』たちも捲土重来するだろう、とモンゴルの新聞は書いている」と、挑戦魂をむき出しにしている。

◆引退後の処遇工夫を

 人材について言えば、日本でも昔は、町内行事に始まって、相撲大会が全国のあちこちで開かれ、力自慢の情報が自然と伝わってきた。そういった地域の催しがほとんどなくなるとともに、各地に目を光らせていた力士スカウトの存在も希薄になった。

 口コミの情報はなくなり、今日では、高校、大学の相撲名門校での確保、そして海外からの人材に頼るようになった。しかし今でも相撲を取るのが大好きな少年は少なくないはずで、スカウトが血眼になって探せば見つかるはずだ。

 相撲取りが、少年たちの自慢する職業となるべく、もう一つ気になるのは、一世風靡(ふうび)した力士でも引退すれば、その後、一挙に影が薄くなる点だ。もちろんどのスポーツでも同じだが、相撲の場合、その落差が大き過ぎる。相撲の伝道師として、その後も、少年たちの憧れの的であり続けるような仕掛けが必要だ。

 日本人力士はハングリー精神が足りないと言われる。しかし、強くなりたいと思って、角界に足を踏み入れるのだから、相当な稽古にも耐えられるはず。立身出世は外国人力士の特権ではない。先輩と後輩の意思疎通を円滑に行い、指導体制の強化を図るなどが肝要だ。

(片上晴彦)