夫婦別姓、LGBTなど多様性を口実にイデオロギー持ち込む毎日

◆衆愚政治に陥る恐れ

 1カ月遅れの話を俎上に載せて気が引けるが、毎日の元旦社説は「2016年を考える 民主主義 多様なほど強くなれる」と題し、わが国の政治の在り方を論じていた。毎日の紙面にはこのところ「多様」が乱発されているのでこれを思い出した。

 元旦社説は、今夏の参院選から18歳が初めて投票権を持つ政治の新たな幕開けだとし、民主主義について「国の未来に多様な選択肢が提示され、公平・公正な意見集約が行われる社会。その結果としての政策決定に、幅広いコンセンサスが存在する社会。それが民主主義が機能する強い社会と呼べるものだ」と意義付けている。

 もとより異論はない。だが、記事は多様性ばかりを強調し、その先の「意見集約」には意を介さず、結論では英国の批評家・小説家のフォースターの次の言葉を紹介する。

 「民主主義には『万歳二唱』しよう。一つは、それが多様性というものを認めているから。二つ目には、それが批判を許しているからだ。この二つさえあればいい」

 この言葉をもって毎日は、「『民主主義とは何か』の答えは、これで十分ではないか」と締めくくっている。同性愛者と言われた小説家にはこれで十分かもしれないが、現実の民主政治はそうはいくまい。

 民主主義には表もあれば裏もある。古代ギリシャでは「民主制」は悪い政治形態とされた。政治が能力も責任感もない民主扇動家の「素人の支配」に委ねられ、衆愚政治に堕落し国が立ちゆかなくなったからだ。それで哲学者プラトンはこう考えた。国家は体力、徳力、智力に最も優れた至高の統治階級を育成し、彼らの自己犠牲的な精神によって共同体の正義が実現する、と。

 「哲学者が王となるか、現に王者とか実力者といわれている人々が真の哲学と政治力とが統一されなければ、国家にとっても人類にとっても決して禍のやむときはないだろう」(『ポリティア』第5巻)

◆指導性問う民主政治

 現在の民主政治はそこまで完璧を求めないまでも、代表制とともに「指導性」、リーダーシップを常に問うてきた。いくら安倍首相が嫌いでも「指導性」を排除するのは偏りすぎている。

 日経24日付に「民主保守派の思い」との鼎談(ていだん)が載ったが(前原誠司元代表・細野豪志政調会長・長島昭久元防衛副大臣)、その中で細野氏は「民主党は改革政党だったはずだが、政権を経験しやや物わかりが良くなり積極性がなくなった」と反省している。ここで言う積極性とは指導性のことだろう。

 意見集約ができない民主党をもってしても、いやだからこそ指導性が問題にされるのだ。鼎談の解説で、櫻田淳・東洋学園大教授は「自由、社会活力、国民統合の護持が保守政治の基本信条で、それを担保する政策に保守政治勢力が熱意を示すのは当然だ。安倍晋三首相の自民党はそれを半ば劇的に打ち出しているにすぎない」とし、「そのときどきの時代の要請に適切に応じる平衡感覚が、保守政治の肝だ」と述べている。

 まさか毎日の言う「多様性」は安倍政治への「平衡感覚」というわけではあるまい。最近の毎日は世評、「朝日よりも左っぽい」と言われる。多様性を口実にしばしばイデオロギーを紙面に持ち込むからだ。

◆印象操作で改憲批判

 例えば、1月28日付オピニオン面の「月刊・持論フォーラム」。「ジャーナリストの森健さんは、自民党が改憲で主張する緊急事態条項の危険性を訴える」と、初めから「危険」と断じ、「明治憲法と比べても問題」と飛躍させる。

 あげくの果てには映画「スター・ウォーズ」を持ち出し、最高議長が悪の皇帝に変貌し銀河共和国が銀河帝国に変わったのと似せて書く。紙面には映画公開を前に盛り上がるファンの写真も載せている。こんな印象操作は「民主扇動家」の手法だ。

 多様性として毎日は選択的夫婦別姓や性的マイノリティー(LGBT)の擁護キャンペーンを張る。25日付夕刊社会面の「LGBTの就活支援」、29日付夕刊「特集ワイド」の「『女性活躍』求めながら別姓に反対」といった安倍批判がその一例だ。

 多様性だけをもって民主主義を説く。毎日は反安倍のイデオローグか。とても18歳にはお勧めできない。

(増 記代司)