緊急事態条項「憲法に必要」90%あった阪神大震災後の95年読売調査

◆21年経た地元紙社説

 阪神・淡路大震災から17日で21年を経た。震災が残した教訓の中で次の二つが印象的だった。ひとつは初動態勢の遅れで被害を広げたこと、もうひとつは地域の助け合いで犠牲を最小限に抑えたことだ。地元、神戸新聞の17日付社説をみると「未来へ 記憶を生かし継承したい」と題し、後者の助け合いを取り上げていた。

 「『女性一人家屋の下にいます』 芦屋市内の桜の木にそんな手書きの張り紙が掲げられたのは、21年前のきょうのことだ。倒壊した家屋の1階で寝ていたおばあさんが生き埋めになった。隣人が助け出そうとしたが、太い柱に歯が立たない。仕方なく近くの木に張り紙を付けた。それが目印となり自衛隊による救出につながった」

 震災は都市部を襲った直下型地震で、多くの建物が倒壊し6434人の犠牲者の8割が圧迫死だった。そんな中、即座に動いたのは主に地域の人たちだ。この桜の木のある自治会長は、「住民同士のつながりが力になった」と述懐する。「震災後、地元の公園に犠牲者追悼の石碑が置かれた。『絆』の文字が住民の思いを伝える」と社説は綴る。

 神戸新聞が指摘するように町内会がしっかり組織され、住民同士の交流が盛んだった地域では生存率が高かった。だが、絆があっても素手では救えない。桜の木のおばあさんは運がよかった。その点、長野北部地震(14年11月)は農村地帯だったのでチェーンソーや農機具があり、1人の死者も出さず「白馬の奇跡」と呼ばれた。

 神戸新聞には書かれていないが、当時の神戸市には町内会はあっても防災組織はなく、助けるにも機材がなかった。なぜ防災組織が軽視されたのか。それは共産党や旧社会党が戦前の「隣組」の復活だと反対したからだ。革新市政が続いた神戸市では自衛隊も排除され、被害を広げた。

◆防災組織に反戦論調

 毎日は昨年、戦後70年企画「銃後のくらし」と題するシリーズで隣組を取り上げている(8月8日付)。1940年の内務省訓令の「部落会町内会等整備要領」で作られ、空襲時の消火訓練などが行われたとし、「戦時体制を支えるために国家が国民に強制したもので、全体主義を浸透させる装置」だが、「生活防衛のための組織」の構図もあったので戦後、町内会が定着してきたなどと大阪市立大学教授の佐賀朝氏のコメントで解説している。

 こんな風にリベラル紙は町内会を隣組の延長で論じ、懐疑的だ。それでも朝日デジタルのアンケート「どうする?自治会・町内会」によれば、町内会に最も期待されている役割は「安全・安心」だ(昨年10月4日付)。防災組織作りにもっと目を向けるべきだが、遺憾なことに神戸新聞も絆を言うだけだ。

 もうひとつの教訓は産経主張「教訓を緊急事態に生かせ」(17日付)が取り上げている。紹介するのは震災当時の兵庫県知事、故・貝原俊民氏。県庁への登庁に時間がかかり、自衛隊への派遣要請が地震発生から4時間もたっていたため、助かる命を救えなかったと批判され、「著書で『(阪神大震災で)わが国の危機管理についての多くの欠陥が露呈した』と指摘している」というものだ。

◆憲法に条項説く産経

 それを踏まえ産経は「首都直下型地震など大規模な自然災害やテロなどに大きな教訓を残した。国民の生命と財産を守るため、一時的に権限を集めて機動的に対応する。憲法に緊急事態条項を定めるのは喫緊の課題」としている。

 この主張は阪神大震災直後なら大半の国民が受け入れたに違いない。と言うのは、読売の世論調査では憲法に緊急事態条項が必要との回答が90・2%にのぼっていたからだ(同紙95年4月6日付)。

 ところが、朝日は「災害対策基本法などに緊急事態の規定はすでにある。憲法に新たに書き込む必要性がどれだけあるのかは疑問だ」と頭から否定する(13日付社説)。安保関連法ではあれだけ憲法、憲法と叫んでいたのに、ここではあっさり棚上げ論だ。

 確かに災害対策基本法には緊急事態規定がある。警察法にもあるが、いずれも世界のどの国の憲法にもある緊急事態条項が存在しないための苦肉の策だ。いわば欠陥憲法の所産だ。

 それにもかかわらず憲法に設けるなと朝日は言う。震災の教訓を風化させたいらしい。

(増 記代司)