北朝鮮「水爆」実験に外交努力だけ説き軍事を想定しない朝毎、東京
◆軍事を想定する国連
国連憲章にはこんな条文がある。「平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に対する行動」
あまり新聞ではお目にかからないので、聞き覚えがないかも知れないが、第7章のタイトルだ。
国連安保常任理事会は「平和の破壊者」に対して、それをやめるよう勧告を行い、まず経済制裁といった非軍事的な強制措置をとる。それでも平和を脅かし続けるなら軍事的強制措置(国連軍)をもって平和を回復する。そんな段取りが記されている。これが集団安全保障だ。
ただし、安保常任理事会には拒否権を持つ国(常任理事国)が存在するので話が容易にまとまるとは限らない。実際、国連軍が編成されたのは朝鮮戦争だけだ。ソ連が常任理事会への出席をボイコットし生まれた「奇跡の国連軍」だった。
それで第7章の最後(51条)に「自衛権」を明記する。個別的、集団的自衛権を国家固有の、国が生まれながらに持っている権利とし、各国が軍隊をもって平和を守ることを容認する。
こんな具合に国際平和を維持するには話し合い(対話)だけでは済まない、ときには「力」がなくてはならない。国連憲章(国際条約)はそう想定している。
北朝鮮の「水爆実験」に対して安保理は非難声明を発表し、新たな制裁決議を検討している。06、09年には武器関連物資の輸出入を禁止し、13年には疑惑船の貨物検査を義務化した。いずれも第7章に基づく制裁だが、今回はどんな制裁に動くのか。
仮に、それでも北朝鮮が平和を脅かし続ければ、どうするのか。7章措置の次の段階である軍事制裁か、それとも自衛権の発動か。原発事故でメディアは「想定外は許されない」と口酸っぱく言ったから、ここでも想定外は許されないに違いない。
◆歯切れ悪い東京社説
で、各紙の社説に目を通してみると、それが想定内一色だった。とりわけ軍事を忌みするリベラル紙は「『孤立』を承知でなぜ?」(沖縄タイムス7日付)と首を傾げ、「国際包囲網の再構築を」(毎日7日付)、「問われる中国の行動」(朝日9日付)と外交努力を説くだけだった。
さすがに読売は軍事にも言明し、「昨秋成立した安全保障関連法で、弾道ミサイル発射を警戒中の米艦の防護などが可能になった。日本周辺での日米共同の警戒監視活動を拡充し、抑止力を高めたい」(7日付)とした。
東京も珍しく「昨年成立した安全保障関連法は朝鮮半島有事など、『重要影響事態』での自衛隊の後方支援などを定めている」と言い、「国際情勢の変化に応じて防衛力を適切に整備するのは当然」とした(7日付)。が、すぐさま続けて「北朝鮮の脅威を名目に『軍事力』強化を加速させてはなるまい」と否定した。何とも分かりにくい論理だ。
「国際情勢の変化」の最たるものは中国の軍拡と北朝鮮の核・ミサイル開発なのは誰もが認めるところだろう。現に毎日は「北朝鮮は経済的苦境の中でも核・ミサイル開発には集中的に投資してきた。その結果が4回にわたる核実験であり、日本全土を射程に収める『ノドン』ミサイルの大量配備という現実だ。…北朝鮮の能力への警戒を怠ってはならない」とした。
◆適切に整備なら強化
北朝鮮は金正恩第1書記が潜水艦発射弾道ミサイル発射実験を視察する映像も公開した。これには合成映像との見方もあるが、東京が言うように警戒を怠ってはなるまい。それで安保関連法も整備されたのは言うまでもない。
わが国には9条の足かせがあり、防衛力は低く設定されてきたので「適切に整備」するには、どうしても軍事力強化とならざるを得ないのではないか。
そうであるなら、東京が「当然」とした国際情勢の変化に見合った「適切な整備」とはいかなる防衛力なのか、はっきりさせる必要がある。それに頬かむりを続けていれば、無責任言論のそしりを免れないだろう。
国連は「ガラスの家」と呼ばれる。青いガラス張りだからだが、平和維持が壊れやすいという揶揄も込められている。そんな国連ですら軍事を想定内とするのにリベラル紙は想定外だ。こっちの家は何と名付ければいいのだろうか。
(増 記代司)