夫婦同姓合憲判決に家族再生の視点を軽視して批判する朝、毎、日経

◆個人あって家族なし

 父母を敬う、人を殺さない、姦淫しない、盗まない。モーセの十戒にはそうある(旧約聖書)。紀元前13世紀頃のものだが、古いからといって変えてよいものだろうか。

 民法の夫婦同姓を合憲とした最高裁判決を本紙と読売、産経は評価したが、リベラル紙は違った。明治時代に作られた民法は古い、時代に合わないから変えようと叫んでいる。それで思わず十戒が頭に浮かんだ。古いから変えよう? どうも腑に落ちない。

 朝日社説は「婚姻や家族のあり方は時代とともに変わるものである。国の制度は現実に合っているか。個人を尊ぶ社会を築くためには、不断の見直しが欠かせない」と言う(17日付)。個人を金科玉条とし、婚姻や家族は時代とともに変わると断じるのだ。

 どうも朝日には個人はあっても家族はないらしい。松下秀雄・編集委員は20日付コラム「政治断簡」で、「『らしさ』って何?追いかけた1年」と題して同性婚や夫婦別姓を論じ、「男らしさ」は自然にあるのではない、軍国主義に適用するように作られ、利用されたと言った記述を連ねている。そこには家族のカの字も出てこない。

 毎日は同姓や女性の再婚禁止期間の民法規定は「ともに明治時代から続く規定だ」とし、「夫婦が同姓であっても離婚は毎年20万件以上ある。結婚するカップルの3割弱はどちらかが再婚だ。未婚やシングルマザーも増えている。時代は変化し、家族のかたちは多様化している」として夫婦別姓、再婚期間禁止の撤廃を叫ぶ(17日付社説)。

 確かに家族崩壊は深刻だが、ならばなぜ、そのことを問わないのか。離婚や未婚、シングルマザーの人権は尊重されるべきだが、それを助長し、主流となる社会になれば、日本の未来はどうなるだろう。家族崩壊に手を貸すよりも、家族再生に力を注いでこそ、安泰な社会が到来するのではないのか。毎日はそうした考えを棚上げにし、ただ家族崩壊に歩調を合わせるだけだ。

◆離婚・不倫を後押し

 今年、毎日は子供の無国籍問題を年間キャンペーンとして取り上げた。民法は別の規定に「離婚後300日以内の子は前夫の子」と定めるので、夫の暴力から逃れている女性に別の男性との間で子供ができた場合、この嫡出推定を避けるため出生届を出さず、子供が無国籍に陥る問題が生じているとして、同規定の撤廃も主張してきた。

 だが、夫の暴力から逃れるとしても、子供の人権を無視し戸籍を作らないのは親としてあまりにも無責任すぎる。結果的に子供を犠牲にしている。それこそネグレクト(育児放棄、監護放棄)の極みと言わねばならない。

 責任ある大人の女性なら、自らの「夫婦問題」に決着を付けずに別の男性との間に子供を作るなど考えられないことだろう。倫理的にも容認しがたい。毎日は夫の暴力から逃れる術を探るべきであって、子供の人権を守る嫡出推定を危うくさせるべきでない。

 日経は「女性の社会進出は急速に進んでいるが、通称と戸籍名の使い分けで苦労している女性は少なくない。通称使用を認めていない職場もある」とし、同姓合憲を批判する(同)。

 それならば、使い分けに苦労しない仕組みや通称使用を認めない職場の解消をめざせばよい。だが、日経はそれを言わず、あくまでも別姓導入にこだわる。ここにあるのは女性を労働者と見る視点だけで、母親の立場や子供の人権は一切語られない。

◆大切なコモン・ロー

 ところで、保守派とて改革を否定するものではない。英国の保守政治思想家エドマンド・バークは「変更のための手段をもたない国家は、自己を保存する手段をもたない」(『フランス革命についての省察』)と述べ、大胆な改革もときに必要だとしている。

 ただ、祖先から相続してきた法(コモン・ロー)や世代を超えて生命を得ている習慣・習俗については「ある世代が自分たちの勝手な思い込みや薄っぺらな考えで改変することは許されない」と言う。

 十戒にある人として基本倫理や婚姻・家族がそうだろう。これが古いとか、個人の尊重に反するとか、勝手な思い込みや薄っぺらな考えで安易に変えると、取り返しがつかない事態を招く。この視点を欠いた論調は御免こうむりたい。

(増 記代司)