「十分な補償は難しい」と断じた週刊現代・欠陥マンション問題特集
◆曰くつき住宅その後
週刊現代11月14日号で「横浜『傾きマンション』の未来が見える 有名『欠陥マンション』建て替えたのか、そのままか」と題して、これまで話題になり曰(いわ)くのあった全国10棟のマンションのその後を追っている。
記事の中で、日本建築検査研究所代表の岩山健一氏が次のように話している。「欠陥問題が発生した場合、一般的にデベロッパー(筆者註・マンション分譲事業の主体となる団体・企業のこと)にお釣りがくるほど十分な補償を出させるのは難しい。業者側に当たり前のことをやらせる。そこを徹底して求めていくことが大切です」
岩山氏のような専門家によると、建て替え費用の賠償をはじめ、物心とも、購入前の“サラ”の状態に近づくよう補償を求めることを目指すのは、どだい無理な話。業者側にできる限りの補修工事を確実にやらせるのが現実的だという。
だが「その『当たり前』にさえも十分に応じようとしないデベロッパーのいかに多いことか。デベロッパーは売るまでは親切で、売った後はひたすら不誠実――。現場は、あまりに恐ろしいものだった」と記事は結論付けている。
◆交渉相手倒産の悲劇
その1例に2005年、世間を騒がせた耐震偽装騒動がある。中堅マンションデベロッパーのヒューザーが販売した物件で、構造計算書の耐震強度が偽装されたことが発覚した。倒壊の危険があり住民たちに使用禁止命令が出されたのが神奈川県川崎市の「グランドステージ川崎大師」だった。
住人によるとその時「退去費用や仮住まいの家賃などを行政に出してもらうよう交渉しましたが、実質負担の3分の2ほどを『貸す』ことにしか応じてくれない」。そのうちヒューザーの破産手続きが始まってしまった。「ヒューザーも、施工主であるゼネコンも、自治体も買い取ってくれない。建て替えずに別の賃貸に住み続ける道もありましたが、このマンションのローンを抱えながらそれを維持するのはほぼ不可能。それなら、自分たちで建て替えるという以外に道はなかった」。交渉中にデベロッパーが倒産してしまうと、さらに悲劇が起こってしまう見本のような例だ。
一方、欠陥工事が見つかった福岡県久留米市の「新生マンション花畑西」の場合、デベロッパーや施工会社の鹿島建設に対して、住民側が建て替え費用を賠償するよう要求。住民側は行政訴訟も起こしたが、鹿島が自身、手落ちを認めたのは限定的。しかも補修工事の途中、調停を申し立ててきて、現在も話し合い中で、建て替えなどは夢のまた夢だという。
ほかに東京・八王子市の「ベルコリーヌ南大沢」は売主が住宅・都市整備公団であり、建て替えが成ったが、欠陥が発覚してから10年以上を経て実現した。住人たちは「この間、落ち着かない日々を過ごした」のはいうまでもない。
今日、「住」の在り方は、生き方そのものを映し出すと考える人たちも多く、住居は一種のステータスとなっている。そう思うと、“ババ”をつかんだ人たちの無念は察するに余りあるし、他人事(ひとごと)ではない。週刊誌が何週にもわたって、大々的に取り上げるゆえんだろう。
◆豊かな社会の裏事情
しかし今回の事件は、現代の世相を象徴的、先鋭的に映し出しているところに、より問題視する意義がある。われわれは、高度技術が社会の隅々に張り巡らされた時代に生きているが、言うまでもなくこれは真の繁栄、快適さを必ずしも意味しない。むしろ、さまざまな意匠を凝らして売り込まれる商品を選別し、それを生活に真に生かすことのむつかしさをひどく感じるというのが実情だ。
歴史を振り返れば、19世紀の英国産業革命以来、われわれが科学にもっぱら期待したのは、民生の安定と生活水準の向上だった。科学は物質的環境の発展に関わり、その目的達成に大いに寄与したものの、今日の一層の追求、そして政治、経済理論は、真の方向性を見失っているのではないか。
われわれが享受している豊かな経済社会は、実は、信頼というより、牽制(けんせい)し合う人間関係のうちに際どく成り立っている。そんな事実が見える横浜欠陥マンション問題である。
(片上晴彦)





