冷戦時代から東側に傾斜したユネスコに踏み込まぬ「記憶遺産」報道

◆国連=平和の先入観

 19世紀の英国にトマス・ハクスリーという生物学者がいた。「ダーウィンの番犬(ブルドッグ)」と呼ばれた進化論者で、とりわけ唯物論を擁護したことで知られる。その孫は祖父よりも有名になった。ユネスコ(国連教育科学文化機関)の創設者で、初代事務局長のジュリアン・ハクスリーだ。彼も正統派進化論者として名を馳せた。

 彼にリードされたユネスコは創設時から曰く付きの組織だった。1950年代後半に共産化された東欧諸国が国連に加盟すると、KGB(ソ連国家保安委員会=スパイ機関)はそれら諸国の国連職員として大量の工作員をユネスコに送り込み、西側諸国との間で軋轢を生じさせた。

 フランス政府は83年、パリのユネスコ本部事務局に勤務している職員十数人をKGBのスパイ工作員として追放した。このうち3人はモスクワに帰った後もユネスコから給料を受け取り続け、1人はユネスコ職員として契約の更新すら受けた。

 当時のムボウ事務局長(セネガル出身)は親ソ的で、欧州の反核運動を支援し、アフリカ諸国を動員して何度も反米決議を採択した。それで業を煮やした米国と英国はユネスコを脱退した(英国は97年、米国は2003年に復帰=パレスチナ加盟で米国は分担金を停止中)。

 こんなニュースが冷戦時代には随分、報じられたものだ。欧米諸国つまり自由主義国ではユネスコ=平和機関ではなく、ユネスコ=親ソ機関と捉えられ、ユネスコ無謬論はどこにもなかった。それがわが国では国連の名が冠されるだけで、平和の象徴のように考えられる。

◆「南京」登録頷く朝毎

 中国が申請した「南京大虐殺の文書」が世界記憶遺産に登録された問題で、10月に各紙はユネスコを取り上げたが、遺産登録の仕組みについては書いても、ユネスコ本体に踏み込んで報じる新聞は皆無だった。

 それどころか、朝日は「政治は歴史を巻き込むな」(10月11日付社説)と政府のユネスコ批判に異議を唱えた。毎日は「反論にも節度が必要だ」(14日付社説)と意味の分からないことを言った。反論はきちんとすべきで、節度(適当な程合い)で行えば、かえって誤解を招く。

 どうやら毎日は「ユネスコ神話」に丸めこまれているようで、次のように言う。

 「『心の中に平和のとりでを築かなければならない』。憲章でそう述べ、教育文化の振興を掲げるユネスコに感情的な対応をするのはまずい。分担金の見直しは行き過ぎだし、運営に注文をつけるといった反論のあり方にも節度が必要だ」

 こんなきれいごとを並べていては毎日のジャーナリズム精神が地に落ちる。

 前記のムボウ事務局長は、パリの本部内に500平方㍍の広大な住居を構え、妻にも運転手付きの公用車を与え、1年間に200日以上も出張し訪問国に肩代わりしてもらった費用も返却しなかった。

 そのうえ約3000人のユネスコ職員の大半はパリに住み、第1線の途上国に出向いて仕事をするのはごく一部に限られていて、ユネスコ予算の大半はパリで使われていた。米国が脱退した理由のひとつはそこにあった。

 毎日はこんな実態を顧みず、ユネスコ神話に篭絡されている。国連貴族やKGBのスパイ職員は今、どうしているのだろうか。各紙の国連創設70年モノで、伏魔殿にメスを入れたところはなかった。

◆中国はポストを掌握

 読売31日付によると、政府はユネスコのアジア太平洋委員会に日本人を派遣し、記憶遺産への発言力アップを狙う。だが、中国は同委に複数の委員を送り込み、議長と事務局長を含め役員会に4人も名を連ねている。旧ソ連を見倣い、ユネスコ工作をしているのだろうか。

 現在の事務局長、イリナ・ボコバ女史はブルガリア共産党の機関紙編集長の娘で、彼女自身も元党員だ。KGB全盛期の82年から84年まで、国連のブルガリア政府代表部で3等書記官を務めていた。東欧諸国は次期事務総長選びで初選出を目指し、積極的な動きをみせ、同女史の名も挙げられている。

 さてさて、こんな国連の内幕に迫る新聞が現れないのはどうしたことか。

(増 記代司)