ノーベル賞受賞者に地方大出身が目立ち考えさせられる産経の指摘

◆喜びの一方で憂慮も

 昨年の青色発光ダイオード(LED)開発者・赤崎勇・名城大教授ら3人が物理学賞を受賞したのに続き、今年も日本人2人のノーベル賞受賞が決定した。医学・生理学賞には北里大特別栄誉教授の大村智氏、物理学賞に東大宇宙線研究所教授の梶田隆章氏である。2年連続の複数受賞となった日本人の業績を称(たた)え、大いなる誇りとしたい。

 日本はこれで、ノーベル賞前記2部門に化学賞を加えた自然科学3部門で21人受賞となったが、特に2000年からに限ると16年で16人が受賞となり、米国に次ぐ2位。毎年1人は受賞している計算になり、目覚ましい受賞ラッシュである。

 今回のノーベル賞受賞をとりあげた各紙論調は「2日続きの快挙だ」(読売・7日社説)、「連日の朗報だ」(朝日・同社説)、「連日の朗報についていこうと、脳みそがうれしい悲鳴を上げている」(産経・同主張)などと盛り上がったが、一緒になって喜んでばかりいられない問題もある。社説の両氏の業績と貢献、受賞の意義などを解説しているのだが、これを機に日本の科学界の現状をとらえて受賞ラッシュはなお続くのか、続けるためにはどうすべきなのか、などにまで踏み込み考えさせてくれる言及が、あまり見られないのは物足りなかった。

 そんな中で日本の科学研究の地盤沈下を憂慮したのが読売と日経(7日社説)である。読売は「近年、日本の科学研究の地盤沈下が目立つ。次の世代が育っていないためだ。研究論文数は伸び悩んでいる」ことを問題にした。だが、続けて「ダブル受賞は多くの研究者の刺激となるに違いない」と受賞に丸投げして結んだのでは、何も提案していないのと同じだ。

 日経は「(受賞ラッシュは喜ばしいが)気になるのは多くの受賞業績が1980~90年代の成果である点だ。足元では日本発の論文数が相対的に減るなど、研究開発力の低下をうかがわせるデータもある」と指摘。「日本の科学者が築いてきた伝統と力を今後も保ち発展させる長期的な方策を考える時だろう」と今が考え時だという。産経も「理科離れ」傾向が顕著なことなどを上げ「快挙が続く今こそ、日本の科学研究と教育の足もとを見つめ直すべき」だと訴えている。

◆成果主義に問題あり

 受賞ラッシュが70年代、80年代に行われた研究だとする日経と同様の見方をする動物行動学研究家の竹内久美子氏は、その方策を具体的に次のように提言する。「ラッシュが止まらないことを願うが、少なくとも国が今すぐにでもすべきことは、科学の基礎研究の大切さの再確認と予算の増額である」(産経14日付「正論」)と要求。竹内氏が代弁した形だが、本当は社説がこれぐらいまで突っ込んで物言いしなければならないのだ。

 もう一つ、研究機関などの成果主義の問題を産経と毎日(6日社説)が指摘した。産経は「大学や研究機関では、短期的な成果を求めるあまり、研究の『独創性』『多様性』が損なわれる副作用が指摘されている」と言及。

 毎日は「最近の日本の研究開発では成果主義が強まっている。その結果、短期間で成果の出る研究が求められ、地道で独創性のある研究がしづらい環境になっている恐れがある」と指摘。「今回の受賞をきっかけに、再考」することを求めている。

 このことに関連した社説での言及はないが、今回の大村氏が山梨大、梶田氏が埼玉大、昨年の中村修二氏が徳島大卒業と、このところの受賞者に地方大学出身者が目立つことに焦点を合わせた記事がある。地方大学が脚光を浴びることについて「大学関係者からは『(有力国立大より)重圧が少なく、のびのびと学べる雰囲気があるのでは』との声も上がる」と産経(12日記事)は伝える。「受験勉強の優秀さと研究者としての素質は違う。志のある人を全国の大学で受け止め、しっかりとした教育を受けさせたということ」(日本学術会議の大西隆会長)との指摘を紹介。「日本の大学における人材の“裾野の広さ”が実を結んだとの見方」を示したのである。

◆「研究好き」にヒント

 先の竹内氏も「科学の研究をするための能力と大学受験時の学力などというものは、実際にはあまり関係がない」「これらの能力以上に欠くことができないのは、その分野が好きでたまらないということだ」と指摘している。これらの記事にはノーベル賞受賞ラッシュを続けるためのヒントが語られている。

(堀本和博)