日本の都市開発下手も指摘すべきだったアエラ「新国立競技場」問題
◆迷走させたのは5人
概算工事費が2520億円となり白紙に戻された新国立競技場の整備計画は、今月に入ってデザインなどの再公募を始めるという異例の展開となった。アエラ9月14日号の「新国立競技場、問題の構図を探る 迷走させた5人の男」によると、「迷走を始めた発端は6年前の北欧にあった」。2009年、コペンハーゲンで開かれた国際オリンピック委員会で、16年五輪開催がリオデジャネイロに決まり、東京は涙をのんだ、その時だ。
同委員会の現場にいた民主党の鈴木寛・文部科学副大臣(当時)は「8万人収容のスタジアムがなければ誘致競争の土俵にも上がれない」と痛感した。そして「2年後に始まった再度の挑戦で、JSC(注・国立競技場建て替えの事業主体である日本スポーツ振興センター)は20年五輪に用意するスタジアムは建設費1300億円と決める。今と比べるとつつましく思える額だが、当時の常識を突き抜ける大判振る舞いだった」という。
12年3月、河野一郎・JSC理事長の私的諮問機関として「国立競技場将来構想有識者会議」が設置。選ばれた14人の有識者の中に、コペンハーゲンで涙をのんだ石原慎太郎都知事(当時)、森喜朗元首相、くだんの鈴木文科副大臣がいた。「この3人と建築家の安藤(注・忠雄)、そして河野が中心となって新競技場の基本コンセプトが煮詰まってゆく」ことになる。これがアエラが指す「迷走させた5人」。彼らは国民の東京五輪成功の期待を背に、疾駆する車のハンドルを預けられたように、新競技場計画のアクセルを踏み続けた。
例えば「鈴木は(中略)新競技場をスポーツにとどまらずエンターテインメントや、ITを使った映像技術の発信基地にする方向で議論を主導した」うんぬんである。結局「通常はにぎわいのある多目的スタジアムで収益を稼ぎ、災害が起これば巨大シェルター。新競技場のコンセプトはどんどん五輪から離れていった」と、工事費膨大化の謎を解き明かしている。
◆都市空間へ配慮必要
なるほどとは思うが、新国立競技場の整備計画の挫折の原因には、アエラの記事にはないが、もう一つ、わが国の“伝統的な”都市計画・開発下手がある。五輪メーン会場を外苑に置く(国立競技場の立て替え)とした時点で、行政側には都市計画の必要性、都市開発の視点は当然あったはずである。なにせ外苑、青山通りを抱える地区が控えている。
にもかかわらず、今もってその内容についての議論がほとんどない。メーン会場ができれば、街づくりは後に自然とついてくる、と思っているのだろうか。周辺の都市空間全体のコンセプトをまず作らなければ、その中心施設の中身の具体的な検討はなかなかできない。実際、ああでもない、こうでもないと、新国立競技場に持たすべき機能が肥大化してゆき、ついには競技場に超大型商業施設のイメージさえ付け加えられた。
都市開発には幾つかのパターンがある。わが国の場合、地権者主体が多い。先般、東京駅日本橋口前の敷地面積3・1㌶の場所に、日本一となる高さ390㍍の超高層ビルなど4棟のビルを建設する「常盤橋街区再開発プロジェクト」が発表された。ここは三菱地所が主導で東京都下水道局や大和証券グループ本社などの地権者が共同で進め、既に利害関係の調整が済んでいる。こういった開発は割と容易である。
これに対し、行政が大きく関与する都市計画がある。かつての東京市長・後藤新平は、関東大震災直後、100㍍幅員の道路建設計画などを打ち上げたが、地権者の利害が錯綜(さくそう)してどうにも進まず頓挫し日の目を見なかった。一方、前回の東京五輪時前には高速道路が敷かれたが、これはむしろ当時、爆発的に増えた車両の流れをさばくための道路行政の範疇(はんちゅう)だったように思う。
◆五輪コンセプトは何
一事が万事、東京は時節に合わせ部分的開発を繰り返し自然膨張してきた街で、それでも都市機能の役割分担とその調和が辛うじて保たれてきた。
今回、新国立競技場の建設がちゃんと進み、見映えのする街づくりに供することをぜひ願いたい。それにはやはり、東京五輪のコンセプトについてしっかり考えていかなければならない。
(片上晴彦)





