国会前の反安保法制デモの人数を3万2400人と割り出した産経

◆「12万」丸写しの報道

 明石市の花火大会で2001年、歩道橋に人が溢れ「群衆雪崩」が起こって死者11人を出した事件で、兵庫県警明石警察署の幹部は禁錮2年6月の実刑判決を受けた。最高裁判決にはこうある。

 「事故の発生を容易に予見でき、かつ、機動隊による流入規制等を実現して事故を回避することが可能だった。それにも関わらず、未然に防止すべき注意義務を怠ったので、業務上過失致死傷罪が成立する」(10年5月)

 ことほどさように警備当局の「予見」は厳しく問われる。間違えば、死者も出るし、自らの人生もふいにする。とりわけ過激になりがちな政治デモでは、参加人数に見合った機動隊を配備するため「予見」は厳密を期す。

 それを少人数なのに大きく見積もり、デモ隊よりも機動隊が多い異様なデモとなり、上司から大目玉をくらったという話を関係者から聞いたことがある。逆なら大目玉で済まない。

 その点、主催者発表は気軽なものだ。大概は勢力を大きく見せるため「水増し」する。報道関係者なら警察発表が実数に近いことは百も承知だ。主催者発表を丸写しに記事にすれば、ひと昔前ならデスクから罵声が飛んだものだ、「警察発表はどうした!」と。

 それがどうだろう、今や主催者発表が大手を振って紙面を飾っている。国会議事堂前で8月末に行われた反安保法案デモについて沖縄紙は1面トップに「国会前12万人『反対』」(琉球新報31日付)との大見出しを躍らせた。

 朝日は「最大デモ 国会周辺に集結」とし、リード文に「主催者発表によると、参加者は12万人」と書き、警察発表の3万3000人の記述は後の本文にしか出てこない。主催者への肩入れも甚だしい。

 毎日も安保法案に反対で紙面にデモ記事が溢れたが、それでも「参加者は警察当局によると3万人、主催者発表で12万人」と常識的な表記で、報道機関の矜持を守っている(いずれも31日付)。

◆血塗られてる反安保

 産経は警察発表とは別に、航空写真を16面の正方形に分け、その1面を約225人と数え出し、そこから実数を試算、「国会前に集まった集会参加者は約3万2400人」としている(1日付)。ほぼ警察発表と同数だ。

 それにしても朝日の過熱ぶりは異様だった。社会面では「声出す 世代超え 60年安保知る70歳 仲間たちと若者結ぶ」といった見出しで大特集だ。どうやら朝日は60年安保など戦後の反安保闘争の再現を願っているらしい。

 記事によると、旧世代は敷布団、新世代は掛け布団なのだそうだ。「多くが政治への不満をつのらせる『寒い時代』には掛け布団が重ねられる。でも誰も気に留めなくても、敷布団がなければ体が痛くて眠れない」。そんな大学教授の例え話を書く。

 だが、その敷布団は眠りに耐え得るシロモノだろうか。警察庁警備局が編纂した『回想 戦後主要左翼事件』と題する書籍がある。発刊は1968年1月。終戦から左翼事件の矢面に立った警察官の生々しい体験談が綴られている。殺人あり、放火あり。警察官だけでなく、民間人も犠牲になった。その後にも浅間山荘事件や成田闘争が続くから、敷布団は血塗られている。

 同書の序で当時の川島広守警備局長(後にプロ野球コミッショナー)は次のように述べている。

 「民主主義擁護を唱えながら大衆の暴力を、直接にせよ間接にせよ是認し、これをあおるものは、民主主義そのものを否定する破壊者であり、無法者である。個人であれ、集団であれ、如何なる違法行為も公共の安全と秩序を責務とする警察は、これを許すことはできない」

◆警察発表軽視の理由

 そのために体験談を編纂したという。「事実は一つしかないし、どれほど長い歳月が経っても、それは変わらない。説明と理屈はいくらでも修正がきくし、曲げることもできる。この『回想』を編んだのは、正しいものごとを知るには事実に基づく以外にはないと考えたからである」

 その事実が今、朝日によって説明と理屈をつけて修正され、寝心地のよい敷布団に例えられている。警察発表を軽んじる報道姿勢の背景にはこんな恐るべき歴史の改ざんがあると心得ておきたい。

(増 記代司)