安倍晋三首相戦後70年談話/駄々っ子が喚き散らすような朝日社説

◆評価が高かった談話

 70回目を迎えた終戦の日の前日に、安倍晋三首相は閣議決定した戦後70年談話(安倍談話)を発表した。

 「戦後50年の村山談話を大きく書き改める談話になるとの見方もあった」(日経15日社説)が、内外から注目された村山談話の四つのキーワード「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」も歴代内閣の取り組みを一般論として引用する形などで網羅され、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎない」ことを示した。さらに先の大戦の内外すべての犠牲者に対し「深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧(ささ)げる」と心のこもった気持ちを表したのである。

 また新たに「先の世代の子どもたちに謝罪を続ける運命を背負わせてはならない」と述べ、謝罪外交にも一つの区切りをつける意思を示した。戦後の日本に手を差し伸べた欧米などへの感謝の念を表明し、一方で元慰安婦を念頭に「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続ける」と韓国にも配慮をした。

 安倍首相も記者会見で「できるだけ多くの国民と共有できる談話づくりを心がけた」とその苦心を語った談話だけに、どこからも批判がしにくい談話と言っていい。付け入る隙が余りない。14日の閣議決定直後に、その内容説明を斎木昭隆外務次官から受けた米国のケネディ駐日大使は「非の打ち所がない内容で素晴らしい」と手放しの評価だったと読売(17日「戦後70年/安倍談話」〈下〉)が伝えている。四つのキーワードが入ったことで中国も韓国も今のところ、不満はあっても抑制した対応である。

 各紙の論調が安倍談話を概ね肯定的に評価したのも当然であろう。すでに18日付本欄でも触れているが、日経(15日社説)は「おおむね常識的な内容に落ち着いたことを評価したい」、読売(同)は「先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう」と認めている。

 談話の未来志向に焦点を絞り「過去の歴史を忘れてはならないとしても、謝罪を強いられ続けるべきではないとの考えを示したのは妥当」だと評価したのは産経(同・主張)である。米ダートマスカレッジのジェニファー・リンド准教授の指摘する「謝罪は和解の前提ではない」から「重要なのは、この談話を機会に謝罪外交を断ち切ることだ」と強調した。「国際政治と謝罪のリスク」の論文がある准教授の<歴史で政府が謝罪すれば国内に反発が生じ、改めて相手国の不信を高める。結果として、より大きなマイナスをもたらす>との指摘を示し、それが「まさに日本の謝罪外交の構図」だったという批判は、まさに同感である。

◆批判できず理性飛ぶ

 毎日(同・社説)の談話評価は「その歴史認識や和解への意欲は、必ずしも十分だとは言えない」とやや否定的。それでも「消極的ながら安倍首相は村山談話の核心的キーワードを自らの談話にちりばめた。『何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を与えた』と加害性も認めた。その事実を戦後70年の日本はプラスに転化させる必要がある」という程度には評価したのである。

 それが朝日(同)となると、角度を付け過ぎた。冒頭から「いったい何のための、誰のための談話なのか」と突っかかり、「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」とのたまう。安倍談話の真っ当な批判は議論を深めるが、理性が吹っ飛んで、まるで駄々っ子が喚(わめ)き散らすような批判は異様かつ不毛である。

 要するに気に入らないのだ。安倍談話が村山談話の四つのキーワードの一つでも外していれば、猛批判を浴びせようと手ぐすね引いて構えていたのに、うまくかわされてしまった。首相が「できるだけ多くの国民と共有できる談話づくりを心がけ」て打ち出した談話は、曲がりなりにも四つのキーワードにも触れていて、否定しにくいものだったからである。大方、そんなところだろうと推察する。朝日社説のタイトル「何のために出したのか」は、そのまま突き返してそう問いたい。

◆優れた識者コメント

 70年談話をめぐっては小紙・上昇気流(18日)が引用した作家・関川夏央氏(朝日15日)、慶応大教授・細谷雄一氏(読売、朝日、日経・同)、国際大准教授・熊谷奈緒子氏(毎日・同)のほか、東大教授・高原明生氏(読売・同)、外交評論家・宮家邦彦氏(産経・同)、ジャーナリスト・櫻井よしこ氏(産経・同)の識者解説コメントが洞察に富む優れた見識を示していた。

(堀本和博)