安倍首相戦後70年談話に読売、日経、産経が「前向き」「常識的」と評価
◆格調高かった「談話」
終戦記念日の8月15日に、こんな記憶が蘇(よみがえ)った。
白い病衣を着た傷痍軍人が駅頭で軍歌をアコーディオンで奏で、汗もぬぐわず、ひたすら頭を下げて寄付を募っている。その光景を子供らが奇異と畏怖の入り混じった目で、遠巻きにしている――。
そんな姿を見かけなくなって久しい。戦後70年を経て、あの人たちはどうしているのだろうか。
実は筆者も遠巻きの子供の一人だったが、その思いを正してくれたのは、「母を尋ねて三千里」で知られるイタリアの作家アミーチスの『クオーレ』(1886年刊)だった。そこに同じような場面が出てくる。主人公の少年エンリーコが傷痍軍人と街で出会い避けて通ると、父はこう諭す。
「よく覚えておきなさいよ、エンリーコ。おまえが、おとろえた年寄りや、貧しい人や、赤ん坊を抱いた人や、松葉杖をついたかたわの人や、重い荷物をせおって腰のまがった男や、喪章をつけた家族などに出会ったときは、いつでも、敬って道をゆずりなさい。わたしたちは、老年とか、不幸とか、母の愛とか、病気とか、ほねおりとか、死とかを、尊敬しなければならないのだよ」(旺文社文庫)
クオーレとはイタリア語で「心」や「愛」をさす。そうした精神を体現されていたのが、全国戦没者追悼式の天皇陛下のお言葉ではなかったろうか。「深い反省」など今までにない表現を4カ所加筆され、戦没者のみならず戦後復興の営みにも言及されて国民をいたわられた(読売16日付)。
安倍晋三首相の「戦後70年談話」も国民と世界の人々への感謝の念を基調に据えた格調の高い内容だった。談話は19世紀の西洋列強の植民地支配からひもとき、先の大戦に至った経緯を語り、村山談話や小泉談話の「侵略と植民地支配」への「痛切な反省とおわび」との表現を盛り込み、「深い悔悟」を述べた。
それにとどまらず世界の人々の寛容の心によって国際社会に復帰できたことに感謝し、国際貢献への決意を披歴した。戦後70年の節目にふさわしい談話だった。
◆毎日の批判は的外れ
各紙社説(15日付)を見ると、読売は「先の大戦への反省を踏まえつつ、新たな日本の針路を明確に示したと前向きに評価できよう」とし、日経は「おおむね常識的な内容に落ち着いた」、産経は「世界貢献こそ日本の道だ 謝罪外交の連鎖を断ち切れ」と、未来志向への転換を促す。3紙とも肯定的だ。
これに対して朝日と毎日の批判は辛辣(しんらつ)だ。毎日は「歴史認識や和解への意欲は必ずしも十分だとは言えない」とし、歴史の修正から決別せよと例によって安倍首相に歴史修正主義者のレッテルを貼る。
歴史修正主義とは、「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造(ねつぞう)したり、都合の悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記述を修正するもの」(フリー百科事典「ウィキペディア」)をいう。
では、安倍談話はどうかと言うと、とりたてて誇張や捏造、抹消があるわけではない。むしろ村山談話で誇張されていた「自虐性」を修正し、丁寧に歴史を語った「常識的な内容」(日経)だった。保守派には物足りなかったが、それでも毎日は歴史修正主義者のレッテルを貼った。
◆誰のための朝日か?
朝日社説には絶句するほかない。「いったい何のための、誰のための談話なのか」と切り出し、「この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった」と安倍攻撃をエスカレートさせ、末尾でこう言った。
「いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。その責めは、首相自身が負わねばならない」
まるで脅し文句である。朝日は長年にわたって「従軍慰安婦」報道で、それこそ「自らのイデオロギーに従うよう」捏造を続けた。その事実を1年前にようやく認めたが、その捏造報道がなかったかのような歴史認識で安倍批判を続けている。実に不誠実だ。
終戦記念日は正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」(1982年閣議決定)だ。とりわけ殉国の御霊を顕彰するのが現世に生きる人の道ではないか。朝・毎の記者には『クオーレ』をお薦めしたい。
(増 記代司)