反安保学生団体の側に立ち自民党議員の言葉尻を捉える朝日、毎日

◆米大使従兄弟の著作

 「あの夏」がまた巡ってきた。終戦から70年。戦争と平和、国の在り方、そして何よりも慰霊――。さまざまな思いもまた、巡る夏である。キャロライン・ケネディ駐日米大使は広島と長崎の祈念式典に出席して、どんな思いを抱いただろうか。

 彼女の従兄弟にマクスウェル・テイラー・ケネディがいる。ケネディ大統領と同様、非業に斃(たお)れたロバート・ケネディ元司法長官の子息で、自爆テロリストを「カミカゼ」と同列に論じる世論に異議を唱え、「特攻 空母バンカーヒルと2人のカミカゼ」(ハート出版)を著した。

 2人のカミカゼとは、鹿児島の鹿屋基地を飛び立ち、沖縄沖の米空母バンカーヒルを大破させた安則盛三中尉(兵庫県出身)と小川清少尉(群馬県出身)のことで、遺族や関係者を丹念に取材し特攻の精神を描いている。バンカーヒル側は650人以上の死傷者を出したが、艦を沈没させないため自ら犠牲の道を選んだ多くの兵士がいた。

 ケネディ氏が特攻について書いたのは、「彼らの最後の望みは、未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで、強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった。私たちは、神風特攻隊という存在をただ理解できないと拒絶するのではなく、人々の心を強く引きつけ、尊ばれるような側面もあったのだということを、今こそ理解すべきではないだろうか」という思いからだという。

 ひるがえってわが国のメディアはどうだろうか。特攻を国家権力による犠牲者としてのみ描き、反安保法案の政治闘争に利用しようとすらする。少しでも尊ぶ発言をすれば、ハイエナのように襲う。

 自民党の武藤貴也議員の発言への批判報道にそんなきらいがある。同議員は「シールズ」という団体についてツイッターで、「自分中心、極端な利己的な考え」と批判したところ、朝日や毎日から問題発言として報じられ(4日付)、野党から糾弾されている。シールズは国会前で反安保法案を叫ぶ学生団体のことだ。

◆常識語った武藤議員

 武藤議員は、「(シールズの)彼ら彼女らの主張は『戦争に行きたくない』という自己中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまでまん延したのは戦後教育のせいだろうが、非常に残念だ」と書き込んだ。

 これに対して団体側は「戦争に行きたくないというのは、多くの人の共通の願い」と反論(毎日4日付)、新聞も利己的としたところを問題にした。だが、武藤議員は発言撤回を拒否し、ツイッターでは文字数が限られ、言いたいことを十分に伝えることができないとして自身のホームページ上でこう述べている。

 「誰もが戦争に行きたくないし、戦争が起こって欲しいなどと考えている人はいない。しかし他国が侵略してきた時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならないし、また世界中の各国が平和を願い努力している現代において、日本だけがそれにかかわらない利己的態度をとり続けることは、地球上に存在する国家としての責任放棄に他ならない」

 しごく常識的な見解で、そういう意味での「戦争に行きたくない」批判なら、撤回する必要はさらさらない。武藤議員は毎日や朝日の「言論封殺」に屈せず、頑として初心を貫くべきだろう。

◆異常な発言狩り行う

 それにしても自民党議員の発言を何でも問題にしようとする新聞は異常だ。作家の曽野綾子さんは、産経コラム「透明な歳月の光」(5日付)で、百田尚樹氏の非公開の勉強会を立ち聞きして大々的に報じた新聞を俎上(そじょう)に載せ、「新聞記者という人種が、世間とは全く違う感覚を持っていると思われる場面には何回も遭遇した」と体験談を語っている。

 その非常識のうえにイデオロギー的バイアスが加われば、自国を守る戦いも、ケネディ氏が提起した尊ばれるべき特攻の精神も、軍国主義と断じて抹殺されかねない。

 戦後70年を前に戦友のもとへと旅立った作家、阿川弘之さんは朝日への執筆を拒否したことで知られる。その理由をこう語っていた。

 「赤旗に書かない人間が、アカイアカイ、赤旗よりアカイ朝日に、書くわけがないでしょ」(月刊『諸君!』1985年1月号)

 同じ思いの識者も多かろう。

(増 記代司)