「反日」を批判した韓国大統領実妹の発言に識者の分析を加えた新潮

◆文春に立花氏原爆論

 8月6日と9日を迎えた。広島、長崎に原子爆弾が落とされた日である。戦後の占領軍による情報統制、未発達な情報媒体などの理由により、原爆被害の悲惨さはあまり世界に伝えられていなかった。それは今でも変わらない。

 その一方で、それを生身で知る被爆者は年々、亡くなっていく。その危機感、焦燥感を強く訴えている一人が評論家の立花隆氏だ。週刊文春(8月13、20日号)の「戦後70年特別企画」で「僕の原爆論」を語っている。

 立花氏が語ろうとする背景には、「戦争記憶の消滅がリアルに見えてきた焦燥感」がある。「もはや『被爆者なき世界』が目前」という焦りだ。

 立花氏は直接の被爆者ではない。が、昭和15年長崎で生を受け、終戦は中国で迎え、帰国して広島を通過したとき、草木一本なくなった焼け野原の風景を兄を通じて憶(おぼ)えているという。

 その後、講和条約が発効し、占領軍の検閲がなくなり、原爆被害の生々しい写真が「アサヒグラフ」(昭和27年8月6日号)に掲載された。当時12歳だった立花氏は激しい衝撃を受ける。「無残に焼け焦げた少年の死体。顔に被爆した女性の写真。手の皮が剥け、水泡に埋め尽くされた皮膚」などが、原爆の悲惨さ、非人道性を訴えていた。

 こうした「日本人が自然と持っている原爆被害の具体的イメージが、世界には欠けています」と立花氏は言う。学生時代に原水爆禁止運動に参加した動機のひとつだ。しかし、運動の手ごたえはいまいちだった。悲惨さは伝えられるが、核兵器に対する考えはひとつも変えることができなかったのだ。今でも世界は核兵器による「恐怖の均衡」を有効だと考えている。

 立花氏のこの稿は「以下次号」となっている。次には何を語るのか、同誌も随分もったいぶったものだ。今回の合併号で、夏休みを間において、次号が出るのが19日辺りになろう。しかし、15日を過ぎれば、話題は「原爆」から「安倍談話」に移って行く。今回、全部を掲載しておく方が良かったのではないだろうか。

◆何もひねらない文春

 韓国の朴槿恵(パククネ)大統領の実妹の発言が韓国を揺るがしている。朴槿令(パククンリョン)氏(61)が日本のネットメディアに語った内容だ。日本に「何度も謝罪を求めるのはおかしい」「慰安婦は韓国政府が面倒をみよ」「靖国参拝。先祖を参らないのはむしろ人の道に背く」と言ったものだから、韓国はハチの巣をつついたような騒ぎになった。

 日本の保守系メディアでは「よくぞ言ってくれた」「ようやく当たり前のことをいう人が出てきた」と“大歓迎”している。

 さぞかし朴大統領には痛手となっただろう。内政外交で目に見える実績がないのに加え、韓国経済は傾きかけている。任期半分を過ぎて、まったくいいところがないのである。その時に、まさに後ろから矢が飛んできた。

 週刊文春(同)は「痛快発言を誌上再録」して、発言の経緯や朴槿令氏の人となりを伝えた。が、まったくそれだけだ。いつもの皮肉やひねりもない。

◆前川氏は観測気球説

 それに対して、週刊新潮(8月13、20日号)は一味違った。「拓殖大学大学院特任教授の武貞秀士氏」の分析を載せた。「数十年に一度あるかどうか、というほどエポックメーキングでした」とし、その理由について、朴槿恵大統領が韓国では珍しく、権力の座に就いてもネポティズムに沈まなかった人で、それは韓国社会では逆に「裏切り者」になる。その姉に「向けて投げ込んだ直球が今回の発言」だったという解釈だ。

 一方、同誌は別の見方も紹介する。「元朝日新聞ソウル特派員の前川憲司氏」の説だ。「姉を助けようという思惑があった」というのだ。その狙いは、「反日政策を徐々に脱して首脳会談を実現したいのが本音。日本に歩み寄るにあたっての観測気球」だというのである。

 どちらの説が的を射ているのかは読者の判断だが、朴槿令氏は単に、父・朴正煕(パクチョンヒ)大統領が国民の猛反対を押し切って日韓基本条約を締結し、反共体制の構築と韓国近代化の基礎を築いていった、その時の決意と精神に戻れ、と、姉をはじめとする政界、国民、そしてメディアに訴えたかったのだと思う。槿令氏の発言に同意、支持する意見が韓国のネットで見られるのは、韓国にも「声なき声」があることを示している。

(岩崎 哲)