三笠宮殿下の「家庭内暴力」報じた文春に新潮が彬子さま取材で反論
◆世界遺産外交に苦言
紆余(うよ)曲折の末、「明治産業革命遺産群」が世界遺産に登録された。わが国19件目の世界遺産であり、3年連続の登録である。しかし、素直には喜べない。誤解、横やり、中傷、妨害、反対、攻撃に遭い、ボロボロの姿でゴールしたような状態だからだ。
もちろん、反対、妨害の主は韓国だ。いったんは外相会談で「相互の登録で協力する」として解決したかに見えたが、“だまし討ち”のよう、その後も反対を続け、最終的に「強制徴用」と取れる表現を呑まされた。
日本側は「意に反して厳しい環境の下で働かされた」と言及したものの、韓国側は「強制労働」と解釈し、「日本は強制労働を認めた」と大宣伝を繰り返している。これは、今後、韓国で起こされている強制徴用補償裁判に大きな影響を与えることになる。
週刊文春(7月16日号)は「韓国“裏切り”の『世界遺産』全内幕」をトップで報じた。日本側は、「日本外交の敗北であり、韓国の攻勢に対して外務省は何もできなかった」のに対して、韓国側は、「日本から譲歩を勝ち取り、妨害活動は大成果を挙げた」とまとめている。韓国の虚偽宣伝を繰り返す卑劣な妨害工作を詳しく伝えつつも、日本外交の体たらくへの嘆き、怒りの方が強い記事である。
今回は「韓国外交の勝利」を認めざるを得ない。4月にユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議(ICOMOS)」が登録勧告した。韓国は慌てた。「何の手も打っていなかったのか」と外交部の無策ぶりを批判する声で溢れた。それからである。猛烈な反対運動が展開された。これに対して、外務省は有効な対抗手段を打ててこなかった。その結果が登録決定の難航であり、大きな課題を残す「強制労働」の言葉だ。「外交の失敗」をもっと深く細かく検証し、今後の教訓とすべきだ。
◆新潮が文春は“誤報”
さて、「一方聞いて沙汰するな」という。片方の話を聞いただけでは真相は分からず、双方の言い分を吟味して見るまで判断はできない、ということだ。特に夫婦間や家庭内の問題では、双方の主張が一方的になりがちだ。
三笠宮寬仁(ともひと)殿下(享年66)の「家庭内暴力」を週刊文春(6月11日号)が「スクープ」として報じ、大きな波紋を呼んだ。「ヒゲの殿下」として親しまれていたがアルコール依存症でもあった寬仁殿下。信子妃と別居されていたことは知られていたから、背後にはそういう問題があったのか、と、読者は疑問も持たずに読んでしまう。信子さまは吉田茂の孫で、麻生太郎財務相の実妹である。
これに対して、週刊新潮(7月16日付)が“カウンタースクープ”を放った。「スクープと誤報はしばしば紙一重である」との書き出しだ。ノンフィクション作家の工藤美代子氏が、寬仁殿下の長女、彬子(あきこ)女王に「異例の単独取材」を行い、別の角度から三笠宮家で起こっていたことを提示したのだ。「信子さまの現状を知る匿名の証言者」に頼っただけ文春の「スクープ」を真っ向から否定するものだった。
彬子さまによれば、家庭内暴力はなかった、信子さまは思い込みが激しく「虚言癖」もあった、離婚の話は過去3回出た、夫婦仲だけでなく母娘関係も悪化していた、という。信子さまは三笠宮家に対してもほとんど義理を欠いていたようだ。
具体例の一つとして、信子さまの「尾てい骨骨折」は「クロスカントリーでしりもちをつき、後部の人の(スキー)板に乗っかって折れてしまった」のが真相のようだ。寬仁親王家(当時)の事務所員が「自分も見ていた、証言しますよ」と語っている。
そして、工藤氏は「婚家の名誉を傷つけ、家族全員を苦しめたのは他ならぬ信子妃」として、「静かに京都の尼寺のご門跡にでもなって、余生を過ごされるのがよろしいのではないか」と皮肉交じりに勧めている。
◆文春の反論はあるか
だが、事態はそうは落ち着かないようだ。寬仁さま亡き後、三笠宮家当主の座を「虎視眈々と狙っている」(工藤氏)ようなのだ。信子さまは薨去(こうきょ)の後、何事もなかったかのように公務に復帰されている。「事実無根の話」を週刊誌に書かせて、自分の地歩を固めようとしている、という構図が浮かび上がってくる。
次は文春側からの“反論”を待ちたいところだが、皇族の争いごとはあまり見たいものではない。
(岩崎 哲)





