護憲学者集めた全国憲法研究会など憲法学界の実情を解説した読売
◆「世界の非常識」露呈
「日本の常識は世界の非常識」というフレーズがある。冷戦時代の最中、1980年代に評論家の竹村健一氏がテレビ討論番組でしばしば使った。パイプをくわえ軽妙洒脱に「大体やね、日本の常識は世界の非常識なんや」と、関西弁で分かりやすく国際情勢を分析し、視聴率を稼いだ。
いま国会が熱くなっている「集団的自衛権」をめぐる議論にもこのフレーズが当てはまりそうだ。世界では国家が集団的自衛権を有しているとするのが常識で、憲法違反とか、保持しているが行使できないといった考えは非常識で、議論すら起こらない。
そもそも国連憲章は国家固有の権利としている(51条)。この条文は国連の正文であるフランス語では「集団的個別的正当防衛の自然権」と表記されているという。自然権というのは生まれながらに持っている権利のことだ。
外務省国際法局長を務めた故・小松一郎前内閣法制局長官は、集団的自衛権について強盗に殺されそうになった隣人を助ける「刑法でいう『他者のための正当防衛』であり、法制度として常識的なものだ」と解説している(『実践国際法』信山社)。
ところが、わが国の憲法学界にかかると非常識になってしまう。多くの憲法学者が安保関連法案を違憲とし廃案を求めて署名したという。自民党が国会に招いた憲法学者もそう断じた。さてさて世界の常識を非常識とする「憲法学者」は何様なのか。
読売12日付は「自衛隊に対する国民の支持が広がるなか、学界内では自衛隊を『違憲』とする見解がなお根強く、学界の立場と現実の隔たりは大きい」と指摘し、憲法学会について次のように解説している。
憲法学界には1964年創立の「憲法理論研究会」(憲理研)や65年創立の「全国憲法研究会」(全国憲)などがあり、特に全国憲は会員が約500人で、強い影響力を持つ。全国憲は規約で「平和・民主・人権を基本原理とする日本国憲法を護る立場に立って、学問的研究を行う」としており、護憲の姿勢を明確にしている。
◆護憲グループ4分類
つまり読売によれば、憲法学界は「護憲法学界」ということになる。それで9条を杓子定規に解釈して集団的自衛権を違憲と決めつけるわけだ。そんな護憲学者が何百人集まっても所詮、金太郎飴で、数は虚仮威しにすぎない。
読売は憲法施行50年の1997年に「読売憲法改正試案」を発表し、当時発刊していた月刊『This is 読売』で、五百数十ページに及ぶ「日本国憲法のすべて」と題する臨時増刊号を発刊したことがある(同年5月)。「資料完全収録の永久保存版」と銘打っていただけに内容が濃く、筆者は今も重宝している。
その巻頭言で「(条文の)一字一句でも改正するのは平和主義を否定する右翼反動の行為だとする護憲派がある」とし、護憲派を4グループに分類している。
それは、①戦略的に保守派による改憲を阻止する手段として護憲という仮面をかぶり、生き残りを図るマルクス主義者グループ、②9条によって軍事費を節約できたメリットもあるとし、憲法の矛盾にホオカブリして国論を二分する無益な争いを避けようという実利主義者グループ、③護憲を「政治生命に関する大事な手段」としている政治屋的リベラル勢力、④過去の行動への批判を防ぎ、政治生命を維持しようと護憲を名乗る旧軍・官僚エリートである。
◆安保は政治家の役割
さすがに戦後70年を経て④は知らないが、他は政治環境が変わっても当てはまる。差し詰め安倍政権との対峙だけを考える民主党や安保関連法制に反対する自民党旧長老は護憲を「政治生命に関する大事な手段」とする護憲派だろう。同書で大石眞・京大教授が憲法典にだけこだわる憲法学者の系譜を詳述していて興味深いが、紙幅が尽きた。
ともあれ憲法学者は国際安保環境がどう変わろうと、机上の条文解説に忙しい。彼らに中国の軍事脅威への対応を問えば、「それは憲法学者の役割ではない。政治家の役割だ」と答えるに違いない。
竹村流に言えば「大体やね、そんな話を憲法学者に聞くのは非常識や。真に受ける方が間違っとるわ」。安保論議ではこう心得ておきたい。
(増 記代司)