御嶽山のレベル1噴火の原因を追究しないアエラの火山「平熱」特集
◆今年が特別ではない
噴火・地震が相次ぐ日本列島だが、アエラ6月25日号の記事で「歴史的にはこれで『平熱』」としている(タイトルも同じ)。「まだ、火山活動は活発化していない」という火山噴火予知連絡会の藤井敏嗣会長(東大名誉教授)のコメントを載せ、「火山大国・日本にとって特別な状況ではなく、これがいわば『平熱』というのだ」と。
「2000年は、3月に有珠山が、6月には三宅島が噴火して全島避難に至った。秋からは富士山で低周波地震が急増(中略)大騒ぎとなった。(中略)2011年の東日本大震災直後も動きはあった。国内の13火山の周辺で地震活動が一時的に活発化した。そのひとつが富士山」と続くが、「いよいよ噴火かと肝を冷やしたが、結局、噴火に至らず沈静化した」のであり、「今年が特別ではなく、活発な火山活動が注目された年は繰り返されてきた」というわけだ。
こうも言う。「目立った報道と火山の活動の大きさは必ずしも比例しない」「活発化したと感じるのは、御嶽山(おんたけさん)の噴火で戦後最悪の犠牲者が出て火山に対する関心が高まり、大きく報道されるようになったことに加え、御嶽山がレベル1(平常)のまま噴火した『教訓』から、警戒呼びかけのハードルが下がったためといわれる」と言及している。火山活動は「平熱」だから、数々の報道に浮き足立つな、ということだろう。
だが、御嶽山の噴火による災害で国民にショックを与えたのは、「御嶽山がレベル1のまま噴火した」つまり活発化のシグナルがなくても噴火し大きな被害をもたらした事実についてだ。記事で「平熱」を強調しただけでは、この疑問に何ら答えていない。すり替えと言っていいだろう。最後の「~といわれる」の伝聞調も大いに気になる。
◆9世紀に似ると指摘
記事の後半では、17世紀以降の日本の主な火山噴火の事例を表にして挙げ、100年単位で見た現状を説いている。「気象庁や内閣府の資料によると、17世紀以降、VEI(註・火山爆発指数)4以上(4が大規模、5以上は非常に大規模な噴火)の噴火が100年に数回あった」として「20世紀以降は1914年の桜島、1929年の北海道駒ケ岳以降は起きていない」と。そして「100年近く大規模な噴火がなく、そろそろ起きても不思議ではない、と専門家たちは考える」と結論付けている。「平熱」が続いてきたから、そろそろドカンと来るかもしれないというのだ。
しかも、今の時期は、被害の大きかった9世紀に似ているという。「9世紀は、前半に関東や近畿、東北などで内陸の地震が相次ぎ、869年には、貞観(じょうがん)の三陸沖地震が発生、大津波が東北を襲った。878年に関東で大地震、887年には南海トラフの巨大地震が起きた。864年に富士山で史上最大規模の貞観噴火が起き、九州の開聞岳は874年と885年に、その他、伊豆大島、三宅島でも大噴火があった」と。
その上で「近年の地震を見ると、1995年に阪神・淡路大震災が起きて以降、鳥取県西部地震、新潟県中越地震、岩手・宮城内陸地震と直下型の地震に続き、2011年の東日本大震災が発生した。現在は9世紀と『似ている』と指摘される」と断じているから、これも驚きだ。
◆防災対策には信頼感
タイトルの「歴史的にはこれで『平熱』」が指し示す内容がまちまちで、全体として要領を得ない。自然は見極め難いものだ、と決め込んだ記事だ。
最後の結論部分で、「大きな火山噴火がない幸運な1世紀に、日本は都市を発達させ、災害に弱い社会をつくったことを忘れてはいけない。火山は、この間に地下で着々とマグマをため続けている」という文も見過ごしにできない。
果たして「災害に弱い社会をつくった」か。歴史的に私たちの祖先は、地震によって命を奪われ、財産を失い、日々の生活を破壊されながらも、それを克服して、今日の文化を築き上げてきた。都市づくりは、その延長線上にあり、色々注文もしたいこともあるが、営々と自然災害に強い社会を目指してきた。
「交通網の足腰の弱さ」を指摘するむきもあるが、台風で電車は止まっても一日もすれば、ほとんど何事もなかったように再開する。大都会に人々が集まり続けるのは、逆に都会のインフラ、防災対策が一定の信頼感をもたらすからだろう。自然災害の対策も、これまでの延長線上にあると自信を持つべきだ。
(片上晴彦)