集団的自衛権行使「違憲」の参考人めぐる記事に改憲の視点ない新潮

◆違憲論多い学会状況

 週刊新潮(6月18日号)は「自民党のオウンゴール」と呼んだ。何かといえば、6月4日の衆院憲法審査会に呼ばれた参考人が揃(そろ)いもそろって、集団的自衛権の行使を「違憲」と断じたことだ。しかも、「野党推薦の2人(小林節氏、笹田栄司氏)だけでなく、自民党推薦の長谷部恭雄氏(早稲田大学大学院教授)までもが集団的自衛権の行使は許されない」との意見を開陳した。

 「『3対0』という大惨敗に、人選のミスとの批判も噴出したが、そもそも、我が国の憲法学者は3人のような違憲派ばかりなのだろうか」と同誌は問題を投げかけ、憲法関連の学術団体を取材している。

 結論から言おう。保守系も含めて「違憲」とする見解のほうが多いのである。いくら菅義偉官房長官が「(合憲とする憲法学者は)たくさんいる」と強弁しても、数から言えば、集団的自衛権行使は「違憲」だとする学者のほうが大勢なのだ。

 「保守系の学会でも合憲派は半分。中立とされる学会だとさらに分が悪いのは明白だ。こんな『憲法ムラ』の事情を知らずに人選していたのだろうか」と同誌は呆れて見せるが、実は肝心なことを書いていない。憲法学者が、なぜ現行憲法で、集団的自衛権行使が可能だという憲法解釈を「違憲」としたのか、その理由だ。

 例えば「全国憲法研究会」(代表・水島朝穂早大教授)のような規約に「護憲」をうたっている「筋金入りの護憲派」が違憲だというのは当然のことだ。

 これに対して、保守系学会のいう「違憲」は中身が違う。「比較憲法学会」(理事長・百地章日本大学教授)は「憲法改正を容認している」(同誌)団体だ。つまり、自衛権行使のような「解釈の変更」ではなく、そもそも、憲法から改正して整えるべきだ、という意味での「違憲」判断なのである。現憲法で集団的自衛権行使を容認するには「ムリがある」ということなのだ。

 「憲法改正」あるいは「自主憲法制定」への態度をもう一つの条件として加えて、「合憲か違憲か」と問わなければならなかった。それが隠されたままの記事を読めば、「保守系も違憲」だけが印象に残り、政府はごり押ししているというふうに映る。

◆数の慢心慎む警鐘を

 安倍晋三首相は官邸記者とのオフレコで、「国会での質問の論点は、これまでの間に出尽くしている」と語っている。同誌はこれを最後には「強行採決」してくる可能性を示すものと見ている。官邸は、議論は尽くされているとして、安保法制を米国議会で約束した手前もあり、「8月頭までには何とか成立させたい」と考えているというのだ。

 ところが、強行採決をすると支持率が10%落ちると永田町では言われているそうだ。衆院と参院で2度の強行採決があるとして、それに耐えうる支持率の最低ラインは「40%」。落とし過ぎて20%を切るようであれば、9月の自民党総裁選で、「安倍氏の再選も俄然、不透明になる」という。

 しかも、安保法制のほかにも「北朝鮮による拉致回答」「経済状況」「漏れた年金問題」など、「支持率低下の『爆弾』は幾重にも仕掛けられている状況」だ。数に頼る「慢心」は厳に慎まなければならないのである。同誌はもっと強く警鐘を鳴らしてもよかったのではないだろうか。

◆新国立の追及に期待

 新国立競技場問題で、同誌は「GOサインを出した『安藤忠雄』の罪」の記事を載せた。「アンビルドの女王」といわれるザハ・ハディド女史のデザイン案が最後は審査委員長の安藤氏の一声で決まったのだという。

 では、他の委員に責任はないのだろうか。ザハ・デザインは制限をオーバーするなど、公募条件から大きく逸脱していたようだ。「審査は拙速だった」「時間のない中で早急にといわれて」「本来ならば失格の作品を最優秀賞に選んでしまった」などと“後悔”の弁が並ぶ。安藤氏の前に異論を唱える勇気はなかったようだが、同罪である。

 ここまできたら、ザハ案に固執する必要もない。再コンペしてでも、期日までに建設可能な案を早急にまとめなければならない。まず、2020東京五輪のコントロールタワーを明確にして、強力なリーダーシップを発揮していくよう、週刊誌は繰り返し呼び掛けてほしい。

(岩崎 哲)