朝日と共産党は同じ歴史観を持つ“同志”と浮き彫りにした天声人語
◆コラムで揚げ足取り
朝日の1面コラム「天声人語」が、共産党の志位和夫委員長の国会での党首討論を褒めちぎっている(22日付)。
志位氏は20日の党首討論で、1945年に日本が受諾したポツダム宣言第6項に触れ、安倍晋三首相に先の戦争は間違っていたと認めるかとただした。これに対して首相は「まだその部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい」と述べた。
このやりとりを天声人語は鬼の首をとったかのように書く。――「読んでいない」はいかにも具合が悪い。米英や中国の人々が聞いたら、どう思うだろうか。ポツダム宣言は戦後の世界秩序の起点の一つだ。首相はそれも読まずに、「戦後体制(レジーム)からの脱却」を唱えてきたのかという批判が出たのは当然である。基本的な歴史の知識すら欠くのでは、と疑われても仕方がない――と息巻いている。
何とも大げさな話だ。読んでいないと何度も書くが、安倍首相は「読んでいない」のではなく、「つまびらかに読んでいない」と述べただけだ。志位氏が持ち出したポツダム宣言それも第6項という個別の項目について即答できる人がいったい何人いるというのか。宣言をお題目のように唱えている人ならいざ知らず、ほとんどの人はいちいち覚えてはいまい。
安倍首相が論評を避けたのは、揚げ足取りに血眼な野党の質問をかわす、賢明な態度だった。それにもかかわらず、天声人語は安倍首相が歴史に無知な人物であるかのように描き、志位質問を「手だれぶりを見せた」と称賛している。ポツダム宣言による首相追及が、よほどうれしかったと見える。
◆「珍妙な認識」を共有
これとは対照的だったのは、産経の阿比留瑠比氏で、「20日の党首討論を聞いて耳を疑った」という(22日付「阿比留瑠比の極言御免」)。志位氏が持ち出した第6項は日本の戦争について「世界征服のための戦争だった」と断ずるものだが、それを否定する証拠が多くある。それなのに、いまだ民主主義の聖典であるかのように論じるからだ。
例えば、阿比留氏は連合国側が「世界征服」の根拠とした、「田中上奏文」(昭和2年に田中義一首相=当時=が天皇に上奏したとされる文章)は東京裁判を通じて中国側が作った偽書であることが立証されていると指摘する。また宣言第6項は、東京裁判でもインド代表のパール判事らから数々の反論がなされた荒唐無稽な「共同謀議」史観に貫かれているとし、「どうして今さら、そんな珍妙な認識を日本が認めないといけないのか」と志位質問に呆れている。
いみじくも天声人語は朝日と共産党が「珍妙な認識」を共有する、同じ歴史観に立つ同朋であることを浮き彫りにした。彼らはポツダム宣言で形成された「戦後秩序」(いわゆるヤルタ・ポツダム体制)を後生大事に護持しようとするが、そんな考えを抱き続けているのは、今や国内外の共産党に同調する輩(やから)だけではなかろうか。
◆ソ連支配強めた体制
米国はすでにヤルタ・ポツダム体制に訣別している。戦後60年の節目の年となった2005年にブッシュ米大統領(当時)はラトビアを訪問しバルト3国首脳と会談、その席で「ヤルタ体制は中東欧の人々を共産主義の囚(とら)われの身とした史上最大の誤りと記憶されなくてはならない」との歴史的演説を行っている(同年5月8日)。
ブッシュ氏は、1936年に英独間で結ばれたミュンヘン協定がナチス・ドイツのポーランド侵攻の引き金となり、さらに39年の独ソ秘密協定(モロトフ・リッベントロップ秘密議定書)によってバルト3国のソ連支配が決められ、その「不正な伝統を引き継いでヤルタ協定が結ばれた」と痛烈に批判した。
そして「こうした行為が安定の名の下に自由を犠牲にし、欧州大陸を分断し不安定にした」とヤルタ体制を非難し、米国がその責任の一端を負っていることを認め、中東欧の共産化を詫びた。
ポツダム宣言もこの「不正な伝統」の延長線上にあるのは論をまたない。「史上最大の誤り」を金科玉条とするのは世界の共産化を欲する勢力だけではあるまいか。なるほど朝日と共産党がそうである。
(増 記代司)